今日の言葉 5月19日
『とてつもない「見ること」』
まず手始めに、問うことといたしましょう。精神があのとてつもない「見ること」に達することは可能でしょうか? 辺緑部や外側、境界からそこに達するのではなく、何も求めず、それに行き当たるのです。そして求めずに行き当たることが、それを見出す唯一の方法です。なぜなら、知らず知らずにそこに行き当たる時、そこには何の努力もなければ、何の追求もなく、何の経験もないからです。
あの中心部、花が咲きほころぶように「見ること」が自然になされるところに入り込むために、通常行われていること全てが否定されるからです。そうすると、精神は極めて研ぎ澄まされ、大変注意深くなります。そして目覚めた状態を保つために、何らかの経験に依存することはもはやなくなります。
自分に問いかける時、人は言葉を用いるかもしれません。当然のことながら大半の人々にとって、問いかけは言葉によるものです。しかし、木という言葉が木そのもの、つまり現実に存在する事実ではないように、言葉が指し示すもの自体ではない、ということをはっきり理解しなくてはなりません。現実に存在する事実とは、人がそれに触れる時のこと、言葉を介さず、実際にそれと触れ合う時のことです。
その時、それは現実であり、すなわち言葉が人をたぶらかす力を失った、ということです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜