身体を洗うとストレスが軽減する
ミューナが一昨年の11月に慢性腎不全を発症してから、欠かさず続けていることがある。買い物で外出すると、必ず神社にお参りしている。
買い物ルートの途中に、六甲八幡神社がある。創建は1026年と言われ、南北朝時代の軍記である『太平記』では、1333年の摩耶城合戦でこの神社が登場してくるほど古い神社。もう2年近くになるので、1日置きの外出だとしても300回以上はお参りしていることになる。
ただ少し気になっているのは、両手に荷物を持っていることが多く、手水舎でお清めをしていないこと。正式な作法なら、きちんと手を洗ってからお参りするべきだと思う。
そういえば宗教的な作法として、『清め』という行為は宗派を問わずに認められる。キリスト教でもそう。イスラム教だと決まった祈りの時間の前に、手と頭を水で清めている人を旅番組で見たことがある。
この身体を洗うという行為は、宗教的な『清め』という意味だけでなく、人間の心理にも好影響をもたらしていることがわかったそう。
リンク先の記事は、カナダのトロント大学に研究チームが先月に発表した内容をまとめたもの。詳細な研究方法はリンク先にゆずるとして、結論だけを述べておこう。
『体をきれいにすることでストレスや不安が軽減される』と結論づけている。
これは実際に洗うという行動だけでなく、映像を見たり、イメージするだけでも効果があるとのこと。そう考えると、宗教的な行為として『清め』が存在するのは、祈りの前に心を落ち着けることを意図して儀式化されてきたのかもしれない。
そう言えば猫が同じ行動をする。来客があってストレスを感じていたり、ジャンプに失敗してパニックっているときなど、全身を舐めてグルーミングをしている。そうして身体を綺麗にすることで、無意識にストレスを軽減させているのかもしれない。動物の本能として、身についている能力なのかも。
強度の潔癖症の人が、1日に何度も手を洗うということがある。もしかしたらその行為も、手を清潔にしたいということだけじゃなく、『洗う』という行為によって不安を和らげようとしている気がする。
いまのように暑い時期、シャワーに入ると本当にスッキリする。嫌というほど汗をかくので、汗を流すことで生理的な爽快感が得られるからだろう。でもスッキリするのはそれだけでなく、心理的にもストレス緩和を経験しているからだと思う。
といっても頻繁にシャワーを浴びるわけにはいかない。暑くてストレスを感じるようになったら、とりあえず手を洗うだけでも気持ちが落ち着くのかも。ちょっと意識してやってみようかな。それと重い荷物がないときは、神社でも手水舎を使うようにしよう。
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