教育相談そして筑波へ
西軽井沢で学校つくってるパートタイム教授、奥田健次です(^^)
昨日は東京の相談室にて、一日中、臨床やってました。
アメリカのことしか知らない在米の若手らは、「なんで教授クラスがトレーナーやってるんですか?」と不思議で仕方ないようですが、これが悪い意味ではなく良い意味で日本らしさというか(もう「日本らしさ」というのは日本ですらイマイチ分かってもらえん昨今)、自分らしさなのです(´ー`)
だれか人に任せて勝手にお金が集まるシステムには、なかなか出来ないんです。まあ、やろうと思ったらできるんでしょうが、自分のところのクオリティーを高く維持するためには、自分自身でやるしかない。
身体が大変と言えば大変ですが、やっぱり臨床ってのは問題解決のときの達成感ていうのかな。これは、やった者にしか分からないもんがあるんですよ。
しかも、どこへ行っても解決できなかった問題をサラッと直すというのは、自分的には「言った通りにしてくれたんだから直って当然です」でも、クライアントの驚きや感動を見ることができるわけで。
昨日だけでも、トイレトレーニング、PECSで要求、発語、暴力など、それぞれ先回のセッションでの指導でパーフェクトになっているのが分かって「良かったですねー」と(^^)
大人の気を引くために1日何回もわざと意地悪しまくる子も、予想通り1か月ほどゼロ状態をキープ(たぶん、そろそろ1回くらい起きて、その後どんどん頻度が減るでしょう)。これまた「すごいですねー」と(^^)
などなど。
しかし、いじめの問題に関しては、事なかれ主義で被害者に我慢させようとしていることが見え見えの学校が、次にどんな悪どいことを言ってくるのか、親御さんにとったら「そこまで学校がやりますか?」と言っておられたことが、すべてこちらが言った通りの行動パターンが発覚。
学校側が、いじめがあると認めるということは「いじめられっ子側だけでなくて、いじめた側や仲間、クラス学校全体の傍観者、そして多数の保護者への指導や説明をやんなきゃならない」ことを意味しますからね。「それは無茶苦茶、面倒なことだ」というのが学校側の本音。
なめんじゃねえぞ、学校。こっちは、どれだけそんな学校を相手にしてきたことか。いじめの問題を隠す学校の「理屈」なんか、常に破綻しているんやから。論理的にも破綻しているということに、気づいてもいない恥ずかしい非常識な学校教育現場。
「いじめがあるかどうか」じゃなくて、「いじめはある」んだっての。「ない」と言うほうがおかしい。それでは、青年期までに性的関心が起こることは「ない」と言っているのと同じこと。発達の過程なんよ、いじめというのも。まともな学校なら「うちの学校のいじめには、○○を月4回、△△については毎日やってまして、さらに◇◇の取り組みを教職員にやっています」というように、「こういう取り組みをしてます」と答えるはず。
もう1回、言っておくわ。「学校にいじめがあるかどうか」ではなくて、「いじめにどう取り組んでいるか」を明らかにしろ。
相談に来られた親御さんには、即座に保護者がどう動くべきか、学校側のさらなる「逃げパターン」をあらかじめ何パターンも伝えておきました。何手でも先が読めます。
こんなことをブログに書くと、また「悪い意味での公務員・教諭」らは、おれを呼ぼうとするのを阻止するんやろね。ええよ、別に。
わずかに少ない教師もいて、そういう人らはおれがどんなに過激なことを言っても、気合いを入れてまた研究会をやってますからね。
軽井沢でもそういう数少ない教師募集。無料で教えます。
さて、今日は朝イチから筑波大学で特殊教育学会50回目の記念大会。その第1シンポになっちゃった。むしろ、全国大会の朝イチはお客が少な目なので、いや〜んって感じ。
もっと「いや〜ん」なのは、3日間の学会の最終日のシンポジウムもあるんですね。前半で固めるか、後半で固めるかして欲しかったんですが、まあこれも機械的に割り振られるもんでしょうから、仕方ないわね┐(´д`)┌
それにしても、おれは今こうやって「いじめ」を隠す学校・教師に対して、怒りまくりなんよホンマは。
いじめを放っとけない100人のうちの1人の教師になって下さい。でも、クビになるかもよ。おれは何度もクビをかけた。クビにはならんかったけど、自分から退職せざるをえん羽目になったからね(^_^)v
100人のうち99人の教師、大学教員、心理士なんかが、保身ですからね。
いや、1,000人のうち999人かもしれんわな。
まあ、こういうことを言うからおれは常に少数派というわけで。
明日以降、またウンコ話でもして品格を下げときますよ。
奥田健次
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