今日の言葉 4月10日
『セックスを厄介ごとに仕立て上げたのは私たちである』
仕事やセックス、お金、思考、感情、経験といった日々の生活全般がどうして厄介ごとになっているのでしょう? それは基本的に私たちが常に特定の観点から、特定の固定された見方で、考えているからではありませんか? 私たちは常に中心から周辺に向かって考えます。しかし私たちの多くにとっては、その周辺が中心であるのです。
ところが人生は表面的なものではありません。徹底的に生きることが要求されます。しかしながら私たちは表面的にしか生きていないので、表面的にしか反応できません。何であれ私たちが周辺ですることは、必然的に問題を引き起こします。そしれそれが私たちの人生なのです。すなわち私たちは表面的に生きており、その表面にある諸々の問題を抱えながら、そこに生きることに甘んじている、ということです。
ですから表面的に生きている限り、すなわち「私」とその感覚という、周辺で生きている限り、問題は存在するのです。そして「私」とその感覚は外に表現されることもあれば、極端に自己中心的なものになり得るし、宇宙や国、その他精神によってでっち上げられた諸々のものと同一化されることもあります。精神の領域内で生きている限り、面倒な問題、厄介ごとは必ず存在します。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜