今日のウィルバーくん 1.10
昨日の続きです。リラックスして風景や体や思考を感じ、それが対象であることに「気づく」こと。そして「目撃者」が目撃しているそれらは、わたしではないことを知り、自分の意識の源までさかのぼり、「目撃者」に落ち着くこと。
ところがこの段階で、ほとんどの人が大きな間違いを犯す、とウィルバーは注意を促しています。それはスピリチュアル的なことでよく起きることです。
何か新しい境地を感じたり体得したと思った時、人は自分の到達した地点を確認したくなります。登山をしていてふもとを望むのと同じです。あぁ、ここまで登ってきたな、と感慨にふけります。そして自分の後を登ってくる人に優越感を覚えたり、応援したりします。そして頂上を仰ぎ見て、自分もそこへ至ろうと決意します。
この愚かさがわかるでしょうか? せっかく対象者が本当の自分ではないと感じていたのに、自分を再び対象として「見て」います。「気づき」はただ気づくだけなのですが、修行して努力するべきものだと、心のどこかで思い込んでいます。ですから新しい境地に至った時、自分の立ち位置を確認したくなります。その途端、数え切れない対象を作り出してしまうのです。ウィルバーの言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
しかし、ここでほとんどの人が大きな間違いを犯す。もしこの目撃者に落ち着くと、何か特別な、素敵なものを見る、あるいは感じる、と考えるのである。しかし、あなたは何も見ない。もし何かを見れば、それは別の対象、つまり感覚、イメージ、思考などである。それらは対象であって、あなた自身ではない。
(中略)
したがって、あなたは何か特定のものを見ない。何が起ころうと、まったく問題ではない。空に雲が漂う。身体に感覚が漂う。思考が心に漂う。あなたは、何の努力もなしにそれらに気づく。すべては、あなたの自然で、シンプルで、何の努力もいらない意識のなかで起こっているのだ。この目撃する意識は、それ自体、あなたが見ることのできる特定のものではない。それは広大な、すべて起きるものの背景となている自由の感覚である。
(中略)
雲はあなたのなかで漂っている。あなたは、雲を味わうことができる。あなたは雲と一つである。あなたの皮膚の内側にあるようである。それほど近くにある。空に浮かぶすべては、あなたの意識のなかで、漂っている。あなたは太陽にキスができる。あなたは山を飲み込むことができる。それほど近くにある。禅は言う。大海を一息で飲み干して見よ。それは内側と外側が「一」になった時、主体と客体が「二」ではなくなった時、見る者、見られるものが「一」になった時、もっとも簡単なことなのである。おわかりだろうか。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『ワン・テイスト』より。
「目撃者」について、少しは何かを感じることができたでしょうか? ほんの少しでも何かを感じたら、とてつもない大きな一歩です。そんなつもりで毎日読んでいただけたらと思います。
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