ボクたちは時間を取引している
先日、そこそこ評判のいいピザ屋へ行った。ところが店主にやる気は感じないし、店もどことなく不潔で落ち着きがない雰囲気。ナポリピザが大好きなボクは期待しつつも、嫌な予感がしていた。
その予感どおり、はっきり言ってまずいピザだった。自分の作るものに愛情を持っていない人は、その『想い』がピザ生地に伝わるんだと思う。とてもがっかりして店を出た。
こうなると美味しいピザが食べたい。三宮に美味しい店を知っているけれど、行列覚悟で出かけなければいけない。そのとき、ふと自宅の近所にあるピザ店を思い出した。神戸に引っ越したころ、すぐに食べに行ったことがある。
薪窯で焼いてくれるピザで、美味しさに感動した記憶がある。それも自宅から歩いて10分もかからない場所。だけどずっと行ってなかった。
なぜかといえば、ランチセットのシステムがあまり好ましくなかったのと、ピザの生地がローマ風だったから。薄手の生地で、カリッと焼き上げられている。単なる好みなんだけれど、ボクはモッチリとした肉厚のナポリピザが大好き。だから足が遠のいていた。
そこで妻が調べてくれると、どうやらランチのシステムが変更されている。理想的なランチメニューになっていた。よしそれなら久しぶりに行ってみよう。そう思って、今日のお昼前にテクテクと歩いて向かった。
店は少し改装されていて、とても綺麗だった。店主は相変わらずいい感じ。明るくて親切で、清潔感にあふれている。そして久しぶりに食べてみた。
これはボクが注文した『バンビーノ』というピザ。妻は『ナポリ』という名のピザを注文。といっても、二人でシェアするんだけれどね。
一口食べてビックリ!
えぇ〜、こんなに美味しかったけ!!! 妻と二人でそう叫びそうになった。
心のこもった料理というのは、こういうのを指すんだろうね。一気にローマ風ピザのファンになってしまった。それも家から歩いて数分だよ。結局は『灯台下暗し』ということだろう。定期的に行くことに決定。来月のボクの誕生日も、ここでパーティをすることに決めた。
ピザを食べながら思ったけれど、社会はお金を媒介にして価値がやり取りされている。だけどその本質は、『時間』を取引しているということ。
どんな人でも1日は24時間と決まっている。ボクはピザの料金を払ったけれど、本質的にはこのお店に時間を提供していることになる。家を出て戻ってくるまで、このピザを食べるために時間を使ったということ。自宅でランチを食べていれば、同じ時間を仕事に使うこともできるから。
人と会うことがわかりやすいと思う。誰かと待ち合わせて会うとしたら、自分が相手に時間を提供しているだけでなく、相手の時間も受け取っている。人と会うということは、他人の時間を奪っていることでもある。
ボクが死ぬまでに会ってみたい思う著名人は大勢いる。だけどコネがあるから会ってみる?と言われたとしても、ボクは断るだろう。なぜならその人の時間を奪うだけになるから。ボクが提供できるものがあってこそ、対等な時間の取引ができる。
先方が会ってみたいと思ってもらえるものを、ボクが持たなければいけない。一方的な関係は、相手の時間を奪ってしまうことだけで終わる。そんなこと耐えられない。
この感覚は、創作を仕事にしている人は意識するべきだと思う。映画であっても、小説あるいは音楽であっても、観客や読者は費用を負担するだけでなく、時間も提供してくれている。映画なら2時間、小説なら4〜5時間というものを提供してくれることになる。
1日は24時間しかないのに、そのうちの数時間を使ってもらえるなんて、すごいことだと思う。だからこそ、その時間に見合ったコンテンツを作るのは創作者の使命であり責任だろう。
今や自由時間を使うための選択肢は無限大だと言っていい。1日に2時間しか自由な時間がない人から『時間』を提供してもらうためには、相当質の高いコンテンツを創作しなければいけない。ネットや動画、アニメ等と競争する必要がある。貴重な2時間を使ってでも読んでもらえる小説が書けるか? 作家はそのことを問われている時代だということ。
結局は最初のピザの話に戻る。歩いてでも食べに行きたい味を提供できるかどうか、ということだろう。先日食べたまずいピザなら、自宅のとなりにあっても行かない。だけど今日のピザなら、1時間歩いても行きたいと思う。つまり、そういうことだね!
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