承認欲求という依存症
承認欲求というものは誰にもある。それは大別すると2つに分けられる。
他者承認と自己承認。
前者は他人に認められたいという欲求であり、後者は自分を価値ある存在として認めたい欲求で、言い換えれば自己肯定感というもの。この2つが両輪となって承認欲求は人間を動かしている。
両輪であるからにはバランスが大切。極端に自己肯定感が低いとブレーキがかかり、他者に認められたいという欲求さえ抱けない。自分はダメな人間だと思い込んでしまう。
反対に自己肯定感が強くても、それを牽引しているのが他者承認だと方向が歪んで真っ直ぐに進めない。自己肯定感を強めようとして、さらに他者承認を強烈に求めようとする。そこまで至ってしまうと、それはある種の依存症のようなものになってしまう。
そんな悲惨な例が、ある記事で紹介されていた。
子供のあこがれの職業として、YouTuberがあげられることが増えた。ヒカキン等の活躍が、子供たちにそう思わせているのだろう。だから多くのYouTuberが登場しているけれど、ヒカキンのように稼げるのはほんの一部でしかない。
途中参入で番組登録数やアクセス数を稼げるのは、すでに芸能人として活躍している人だけ。まったく無名の人がそこに肩を並べようと思うのなら、それまでにない新しいものを持っている必要がある。
そんな限界に気づいた人がやらかすのは、『迷惑系YouTuber』というもの。マナー違反や法律違反を顧みず、ただひたすらアクセス数を増やすための動画をアップする。この記事でその悪例として紹介されているのが、窃盗容疑で逮捕された『へずまりゅう』という人。
スーパーで精算が済んでいない生魚を食べる動画をあげたことで、窃盗容疑で逮捕されている。迷惑行為や犯罪だとわかっていても、アクセス数を稼げるのならなんでもやるという悪質なもの。他の例もこの記事で読んだけれど、マジで最悪。
リンク先の記事を読んで感じたのは、迷惑行為をやっているこの人たちは依存症だということ。承認欲求、なかでも他者承認に対する依存症だと思う。バズったときの快感が忘れられない。それで自己肯定感を高めるため、取り憑かれたようになって他人の評価を追い求めている。
そのうち迷惑行為では飽き足らず、他人を殺傷するような動画を撮影しようと思うかもしれない。そんな怖さを感じた。
承認欲求は誰にもある。でもそれをうまくコントロールするには、他者承認と自己承認のバランスを適切に保つことが大切だと思う。どちらかに偏ることによって、自分という存在の行き先を見失ってしまうのだろう。近道を探さず、自分にしかないものをコツコツと積み上げていくしかないと思うんだけれどね。
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