古いものは人によって新しい
最低でも毎日4時間は音楽を聴いているというボクの日常。Apple Musicを使うようになってかなり経過するけれど、最近はAmazon Musicも併用している。ニューアルバム等の最新曲はAppleで聴き、1970年代や1980年代の青春時代の音楽はAmazonを利用している。AmazonはUnlimitedに加入していないので、古いアルバムならprimeで聴くことができるから。
こんな環境だから最後にCDを聴いたのがいつなのか思い出せない。おそらく4〜5年以上前になると思う。もしかしたらもっと前かも。そもそも現状において、我が家でCDを聴くためのメディアがない。
以前のMacBook Airのときは、外付けのDVDドライブを使ってCDを聴くことができた。だけで昨年に買い換えたMacBook Airは、USBの規格が合わないのでDVDドライブを処分した。すべてがオンライン化されているので、物理CDやDVDを使うことなんて完全になくなってしまったから。
その傾向は世界的なもので、音楽はストリーミングがメインになっている。そしてそれに伴って、ある特殊な現象が起きているらしい。
SpotifyやApple Musicの台頭で「古い音楽」を聴く人の割合が急増しており文化停滞の危険があるという主張
リンク先の記事によると、音楽のストリーミングを利用しているユーザーは、2021年で5億2390万人に達しているそう。そして2020年から2021年にかけて興味深い現象が起きているとのこと。
それは新譜と旧譜の競合。どこの時制ラインで新譜と旧譜を分けているのかはわからない。とにかく音楽ストリーミングで古い曲を聴く人が多く、2021年では新譜が逆転されるという現象が起きている。リンク先の記事の主旨は、こんな状態が続けば文化停滞の危険があると警告する内容。
確かにデータだけを見れば、新しいものが駆逐されている印象を受ける。ボクたちのような世代はストリーミングによって、若いころに親しんだ曲を気軽に聴くことができる。それだけでなく、いまの若い世代も古い曲をあえて聴いているそう。
でも文化停滞という意見は、大きな誤解があると思う。その意見を述べている人は、おそらく年配者だろう。なぜなら肝心なことを見逃しているから。
1970年代の音楽は、ボクにすれば懐かしくて古い存在。だけど21世紀に生まれた世代にとっては、その時代の音楽は初めて触れる新しい曲と同じだと思う。70年代に発表された曲であっても、若い世代が2022年に初めて聴いたなら、それは今年の新譜と同じ意味合いを持っている。
だからクイーンの曲が、エド・シーランの新曲と肩を並べていても不思議じゃない。要するに良いものは良いということ。ストリーミングによって幅広く音楽が聴かれるようになったことで、時代を問わず素晴らしい音楽が好まれているだけだと思う。
そうなってくると、これからブレイクしようと意図しているミュージシャンは厳しい。なんせ現在のライバルだけでなく、過去のミュージシャンたちとも競うことになるんだから。現代の10代にとっては、耳にするすべてが新しい曲なんだからね。
古い曲が聴かれているのは文化停滞ではなく、むしろ音楽に関する新しい世界観が構築されている過程だと思う。
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