今日の言葉 11月29日
『沈黙に気づく』
瞑想の何たるかについてのこの探求に付いてきて、思考プロセス全体を理解したならば、あなたは精神がすっかり静まっていることに気づくことでしょう。その、精神がすっかり静まり返っている状態の中には、監視する者もいなければ、観察する者もおらず、従って経験する者も全く存在しません。経験を集める存在、すなわち自己中心的な精神の活動がないのです。
「それがサマーディ(禅定)だ」などと言わないでください。なぜと言うに、あなたは本の中で、それについて読んだことがあるだけで、それを自分で発見したわけではないからです。言葉とその言葉が指す実際の事物との間には、大変な違いがあります。扉という言葉は、実際の扉ではありません。
という訳で、瞑想とは精神に染みついている、その自己中心的な活動を払い清めることです。そして瞑想もここまでやって来たならば、あなたは沈黙、全くの空(くう)が存在することに気づくはずです。精神は社会によって汚染されず、もはやいかなる影響にも支配されず、いかなる欲望によるプレッシャーにも左右されなくなります。
それは完全に独りあるのです。そして独りあり、手付かずあるが故に、純粋無垢であるのです。その結果、時間を超えたもの、永遠なるものが生ずる可能性が起こるのです。
このようなプロセス全体が瞑想なのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜