今日の言葉 2月26日
『人類の進化』
平和とはどういうものかを知るためには、戦争、すなわち自他の破壊を経験しなくてはいけないのでしょうか? 明らかに、これは全く誤った考え方なのではないでしょうか? あなたはまず、進化や成長、悪から善への移行があると想定し、次に自分の考えをそのパターンに合わせます。しかし、心理面での進歩、進化はあるのでしょうか? すなわち悪から始まって、善に行き着くまでの「私」の成長、進化はあるのか、ということです。
私たちは時間というプロセスを経て、成長と変化を経て、「私」が最終的に真実在(リアリティー)になるだろうと考えます。これは私たちの希望であり、切望です。すなわち、時間をかければ、いずれ「私」は完全な存在になれる、ということです。この「私」とは、「自分」とは何なのでしょう? それは名前であり、形であり、記憶、期待、欲求不満、切望、苦痛、悲しみ、束の間の喜び、等々の塊です。
私たちはこの「私」が継続し、完璧になることを求め、それで「超自我」だとか、高次の自己、時間を超えた霊的存在が「私」を超えて存在すると言うのです。しかし、その「霊的」存在を考え出したのは私たちなのですから、それは依然として時間の枠内にあるのです。違うでしょうか? 私たちが霊的存在について考えることができるなら、それが私たちの推理の範囲内にあることは明らかです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜