「自分」を減らすと楽になるよ
思っていたよりも青空が広がって、少し蒸し暑さを感じる神戸です。5月も中旬になると、少しずつ梅雨の気配がしてきます。
昨日撮影した写真です。いよいよアジサイが咲いてきました。季節は確実に進んでいますね。
明日の予報は雨。また傘を持って買い物に出かけなくてはいけないようです。まぁ、雨を楽しむのが一番ですね。
今日もブログと仕事をこなしつつ、ほぼ一週間遅れの大河ドラマを見ました。いよいよ幕末が近づいて、面白くなってきました。
ネットのニュースでNHKの会長が『花燃ゆ』の視聴率の低さを嘆き、脚本を非難しているという記事を見ました。なんで自分の放送局の番組を非難するんだろうね。その前に、ちゃんと見てるんやろうか? 親が自分の子供を公共の場で非難しているような嫌な気分でした。
私はよくできた素晴らしいドラマだと思います。登場人物たちの生き様にブレはないし、彼らが伝えたいことも十分に感じ取れます。それにしても視聴率の調査というのは、いまだに家庭に調査機を置いているのでしょう? なんかアナログやなぁ。
もっと現状に則した調査方法はないのでしょうかね。私は今のままのドラマで結末まで見たいので、視聴率なんて気にしないでこのまま突っ走って欲しいと思っています。そうは行かないのかもしれませんけれどね〜!
さて、「悟り」や「目覚め」ということに関心を持つと、様々な本に出会います。あるいはセミナー等でそうした話を聞くこともあるでしょう。本当の自分は肉体という境界線の内側にいるちっぽけな存在ではなく、この宇宙を超える存在だと教えられます。本当の自分、あるいは真我という言葉で説明されますね。
知識としてそのことを知ることはできます。しかしそれを体現することと知識は全く別次元の話になります。言葉や文字で説明できるものではありませんし、私たちが「悟った」とか「目覚めた」と宣言できるものではありません。私が悟った、という言葉には、まだ「私」あるいは「自分」が明確に残されています。
けれども、そんなに深刻に考える問題ではないと思っています。どんな人間も、いつかは思い出すことですから。それは起きるべき時に、起きるのです。
「今」できることをしてみればいいのです。私はそうして遊んでいます。小さな子供がママゴトをするように、ちょっとした「フリ」をして遊ぶのです。
「自我」が本当の自分でないとするのなら、そうした「フリ」をしてみるのです。この遊び、かなり面白いですよ!
私たちが怒ったり、悲しんだり、傷ついたりする時、じっくり観察するとわかることがあります。それは「自分」がそう感じているということです。
誰かにバカにされていると感じたり、正当な評価をされていないと感じる時、その対象となっているのは肉体の境界線に内側にいる「自分」です。アイデンティティの記憶として積み上げてきた「自分」ですね。それが本当の自分の姿だと思うから傷つくのです。
そんな時、「自分」を超えた宇宙規模の真我が本当の自分だという「フリ」をしてみてください。完璧には無理ですよ。もし完璧にできたら、その瞬間に「目覚めて」いますからね!
ほんの少しでもいいから「自分」を減らしてみるのです。ちょっとずつでいいですから、その割合を減らしていきます。実際にやってみると、予想しなかったことに気づくようになります。
例えばバスを待っていて、誰かが強引に列へ割り込んできたとします。その時に、自分の感情を観察してみてください。
心の中の「自分」の含有量の違いで、感じることも大きく違ってきます。「自分」が多ければ多いほど、怒りが湧き上がってくると思います。一緒に並んでいた人を仲間にとりこんで、割り込んできた人間を糾弾したくなります。
でも「自分」の含有量が少ない時、個人的に感じる怒りも同時に減ります。並んでいた「自分」の苦労を無駄にされた、とは感じません。私という個人がその人から攻撃を受けたようには感じません。
相手をやり込める気持ちではなく、「皆さん並ばれていますよ」と自然にその人に言えるでしょう。
なかなか思っているようにはいきません。なんやこの人!、と思うことの方が多いです。でもその状況で、心にある「自分」の含有量を客観的に知ることができます。どうせ遊びです。気楽にやってみるといいですよ。
「自分」を減らすと、生きることが楽になると信じています。
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