今日の言葉 12月8日
『今、ここから取り掛かる』
宗教的な人は神を探し求めません。宗教的な人は、自分自身である社会の変容に取り組んでいます。宗教的は人とは数限りない儀式を行ったり、伝統に従ったりする人のことではありません。また止めどなくギータや聖書を解説したり、延々と詠唱したり、ヒンドゥー行者として出家したりして、廃れた過去の文化の中に生きている人のことでもありません。そういう人は事実から逃避しているのです。
自分に全き、全面的な変異をもたらすということは、貪欲さや羨望、野心がすっかり止むという意味です。そしてその結果、その人は周囲の状況───自分が口にする食物、読む本、見に行く映画、宗教教義、信仰、儀式、その他諸々───の産物であるにもかかわらず、周囲の状況に左右されなくなる、という意味です。このような人物には自分自身に対する責任があります。ですから宗教的な人は、自らが作り出した社会の産物である自分自身を理解しなければなりません。
したがって真実在を発見するためには、今、ここから取り掛からなければなりません。寺院の中で取り掛かるのではなく、また、手によって彫られたイメージあるいは精神によって描かれたイメージの中で取り掛かるのでもなく。そうしなかったら、どうやって全く新しい何か、新しい状態を見つけることができると言うのでしょうか?
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜