SOLA TODAY Vol.255
大阪での万博誘致が進行している。ボクの世代が万博という言葉で頭に浮かぶのは、1970年の大阪万博だろう。
ボクは小学校3年生で、今風にいえば万博オタクだった。連れてもらったのは2度ほどだけれど、ガイドブックを擦り切れるほど読み込んだ。今でも当時の会場の情景や、パビリオンの様子をありありと思い浮かべることができる。
なかでも話題をさらったのは、言うまでもなくアメリカ館の『月の石』。何時間も並んで目の当たりにしたとき、ただの石やんか、という気持ちと、とんでもないものを見た、という興奮がごちゃごちゃになっていたことを思い出す。
そんなアポロ計画は過去の遺物のようになり、もう誰も月へ行くことはなくなった。
1969年に人類が初めて月に着陸してから、3年後のアポロ17号を最後に月面着陸は実施されていない。その理由を考察しているのがこの記事。とてもシンプルな理由だ。
「そのわけは、実に莫大な費用がかかるから、そして行かなければならない実用的な理由がないからです」
このアポロ計画は、アメリカが意地だけで行ったもの。それは宇宙開発で先行していたソ連に対する意地。ロケット開発や有人宇宙飛行において先を越され、冷戦時代真っ最中のアメリカとしては、国の威信をかける必要があった。
だからめちゃくちゃな計画だったらしい。宇宙船のデザインが決まる前にエンジンが選定されたり、予想される故障に対処するため、複数の異なるテクノロジーを併存させていたとのこと。
そのうえスペースシャトルのように再利用を考慮していないから、すべての部品が使い捨て。想像を絶する速さでアメリカの国力を食い尽くすことになった。そりゃ続けられないだろう。
月に行くことの実用的な理由がないのに、意地だけで強行した。合理的思想を持つアメリカ人としては、常軌を逸していたとしかいえない状況だったのだと思う。でもある意味、そこまでバカけたことに真剣になったのは無駄ではないと思う。
宇宙開発の最たる目的は軍事利用。アポロ計画当時は軍の機密だった技術が、今では当たり前のように航空技術として応用されている。以前にもこのブログで紹介したけれど、コンピュータのソフト開発という基本概念を築いたのも、このアポロ計画だった。
だからアポロ計画の技術が基本となって、現在の宇宙開発が進められている。そしてそれは、より実用的なものになりつつある。だけど国家が宇宙開発を主導する時代は終わったかも。
今や個人企業がその中核をなしている。例えばイーロン・マスク。宇宙ビジネスという言葉に違和感を抱かせない勢いで、マジで火星への友人飛行を計画している。莫大な投資が必要であっても、企業だから将来的な利益を考えているはず。だからアポロ計画のときのアメリカ国家のような、無謀なことはやらないだろう。
実現可能なことに主眼を置いて、より効率的に投資するはず。さらに科学技術の進化が、それをあと押ししてくれる。無謀でしかなかったアポロ計画だけれど、いつはその価値が認めらるかもしれない。それはグローバル企業の今後の動向しだいかもね。
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