恋心を煮詰めるとこうなる
昨日はかなり黄砂が飛んだらしいけれど、今日のほうがすごいような気がする。
空は晴れているのに、朝から大阪方面がまったく見えない。あまり外に出たくなかったけれど、食料がないから仕方ない。黄砂を多少吸い込むのを覚悟して外出した。
だけど外の空気は本当に気持ちいい。気温が上がりそうなので京都あたりは真夏日に近いかも。でも神戸はぷらぷら歩くのにちょうどいい気温だった。
帰り道に少し遠回りをしていると、白い藤の花が群生している丘を発見。風に吹かれた花が雪のように舞って、まるで夢の世界を歩いているようだった。
日本の四季というのは、本当に素敵だと思う。昨日、『岩合光昭の世界ネコ歩き』の京都編の録画を見た。相変わらず猫の映像は可愛いけれど、負けず劣らず感動したのが背景の景色。
京都の四季が見事に撮影されていて、何度も深いため息をついた。暑さも寒さも厳しい土地だから、そのぶん季節感が色濃く出るのかもしれないね。
ついでにボクと妻が仲良くしていた、ある料亭の若女将がちらっと出演していたのがうれしかった。今やふたりの子供の母親だけれど、当時は10代の半ばで、そのころから猫が大好きな女性だった。やっぱり猫なしの生活はできないのだろうなぁ。よくわかる!
そんな季節の美しさを感じる映画を久しぶりに観た。もう何十回も観ているけれど、ときどき無性に観たくなってしまう。
『小さな恋のメロディ』(原題:Melody)という1971年のイギリス映画。説明の必要がない映画だよね。
どうしてこの映画に惹きつけられるのか? 今回はそのことを強く意識しながら鑑賞してみた。
マーク・レスター、トレイシー・ハイド、そしてジャック・ワイルドという主演の3人が魅力的で可愛い、というのは言うまでもない。でもそれだけの映画じゃないと思う。もっと根源的な何かがあるはず。
ボクが思うに、それは不必要なものをすべて取っ払った、純粋な恋心じゃないだろうか。
思春期を過ぎて社会人になっても恋はする。だけど年齢を重ねるにしたがって、いろんな考えが内臓脂肪のように張り付いてくる。世間体、経済観念、仕事やそれに伴う地位、社会に対する不満、理想と現実のギャップ。とにかく数え上げたらキリがない。
そうした思考はバイアスとなり、ありのままを見ることができなくなってくる。結婚を意識するということは親戚づきあい等、考えなければいけない面倒なことが山ほど出てくる。だから最近は、独身生活を選択する人も多いのだろう。
だけどこの映画のふたりは、そんなしがらみから自由。ただ相手と一緒にいたい、という切実な想いしか存在しない。
「今、一緒にいたいと思う。結婚ってそういうことでしょう?」というセリフを、メロディを演じるトレイシー・ハイドが両親と祖母に訴えるシーンがある。その真実をついた言葉に、大人たちは反論できずにとまどってしまう。
ボクがこの映画を観て感動するのは、そうした純粋な恋心が表現されているからだと思う。大人のややこしい複雑な恋心を鍋でコトコト煮詰めると、そこに何かが残るはず。それは幼いころに経験した、キラキラと輝く純粋な恋心。この映画はそれを見せようとしている気がする。
このメロディのセリフを、相手がいないのに婚活している人はどう思うのだろう? いつも一緒にいたい人がいるから結婚を考えるのであって、結婚したいから相手を探すのは、何かちがうと思う。
ラストシーンで子供たちと教師が格闘する。あれはひとりの大人の内面で常に葛藤している、子供と大人の心を象徴しているのだろう。
ある生徒が作った爆弾が破裂することで、大人は放心状態でその場を去る。あの爆発音は、純粋な子供の心が勝利をつかんだ祝砲だよね。
この映画は本国で評価が低いのに、日本人には絶賛されている。もしかすると欧米人に比べて、日本人はそんな恋心を大切にしている部分があるのかな? まぁ最近の若い世代は、もっと合理的な発想かもしれないけれどねw
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