SOLA TODAY Vol.284
あなたがレストランに行ったとしよう。ペコペコの腹を満たすため、大好きなトンカツを注文した。
期待を込めて出てきた料理にかぶりついたとき、もしそれがチキンカツだったとしたら?
普通は怒るよね。空腹でイライラしていたら、さらにヒートアップする。値段的に考えてもトンカツのほうが高いはずだから、余計にムカつく。
まぁ、それが当然の反応だろう。でも期間限定で、こんな不思議な料理店がオープンした。
このお店の正式な名前は『注文をまちがえる料理店』。6月3、4日限定で、プロの料理人が厨房を仕切り、テレビ局や広告代理店に勤める人たちがボランティアで運営している。だから収益は発生しない。
なぜこんな不思議な名前なのか?
それは注文を聞いたり、配膳をする6人の女性が認知症を患っている人たちだから。症状に個人差はあるけれど、記憶に障害があったりする。だから注文を聞いても、そのとおりに出てくるかどうかわからない。
実際にこの記事でインタビューを受けた女性は、注文を聞きに行った段階で、自分が何をしにきたのか忘れている。お客さんから注文を聞きにきたことを指摘されて、ようやく笑顔で対応できた。
一方注文するお客さんも、自分の希望の料理が出てくるのかどうかドキドキする。注文したとおりの料理が出てきたとき、ちょっぴり残念だった、と答えている人もいた。
なぜこんな料理店がオープンしたのか。その理由を、お店の開設に関わったテレビ局のディレクターが話している。とてもいい話なので、そのまま抜粋させていただく。
以下抜粋〜
4年前、認知症介護のプロのドキュメンタリー番組を作っていたときに経験した、ある「間違え」がきっかけです。
番組の舞台となったグループホームで生活する認知症の方々は、買い物も料理も掃除も洗濯も、自分が出来ることはすべてやります。僕はロケの合間に、おじいさん、おばあさんの作る料理を何度かごちそうになっていました。
ある日のこと、聞いていた献立はハンバーグだったのに、餃子が出てきたことがありました。「あれ?今日はたしかハンバーグでしたよね?」と喉元までこみ上げましたが、うっと踏みとどまりました。その言葉を発してしまうと、なんだか気持ちが窮屈になってしまうんじゃないか、と思ったのです。
同時に、この言葉を突き詰めた先に、誰もがいまよりもちょっと呼吸のしやすい世界の姿があるんじゃないか?と思ったんです。
「餃子になっちゃったけど、別にいいよね」
法律や制度を変えることももちろん大切だと思いますが、私たちがほんのちょっと寛容であることで解決する問題もたくさんあるんじゃないか。
間違えることを受け入れる、間違えることを一緒に楽しむ。そんな新しい価値観をこの不思議なレストランから発信できればと思います。
〜以上抜粋。
この記事を読んで、とても素敵だなぁと感じた。普通のレストランではできないことだよね。支払うべき対価に見合ったサービスを求めるのは当然だから、料理がまちがって出てきたり、対応が悪かったりするとクレームを言いたくなる。とても寛容になんてなれない。
だけど認知症を患っている人に接する場合、その寛容さが新しい『空気』を生み出す。認知症を患っている本人と世話をしている人のあいだに、ほっとした空間が創造される。
本当の『寛容』というものは、相手に対する諦めでも、憐れみでも、善意の押しつけでもない。
何があっても受け止められる、心の『ゆとり』のことだろう。
このレストランを運営することで、認知症の方の症状が良くなる保証はない。だけど人間の心に、失ってはいけない心の『ゆとり』を思い出させてくれるかもしれない。
注文したとおりの料理が来たら喜び、ちがった料理が出て来たら大笑いする。そんな心の『ゆとり』は、様々なことに好影響を及ぼすような気がする。
この料理店は、クラウドファンディングで資金を集め、9月くらいには1週間の期間限定で本オープンを目指すとのこと。いいことだよね。こんな企画が身近であれば、ぜひ参加してみたい。きっと感謝するのは、『ゆとり』を体験させてもらえたボクたちだろうね。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。