感動に共感できても無理
ボクが自宅でパソコンを使うようになった20年ほど前、Googleの登場に驚いた記憶がある。まだいまほどネット社会という雰囲気じゃなかったせいか、他の検索エンジンはのんびりした仕様だった。
もちろんネットを接続しているこちらもダイヤルアップだったり、せいぜいISDNだった時代だからね。それでもGoogleの検索エンジンの速さには少なからず感動した。その後もGoogleは進化を遂げ、いまやAndroidの開発をはじめとした世界的なIT企業となった。
そんなGoogleで驚いたのがGoogleマップのストリートビューという機能。実際の街を撮影してマップと連動させることで、3D感覚で地図を確認することができる。
ボクはその写真を撮影しているGoogleの車によく出会う。以前には妻と二人でバッチリと写っていたこともあるし、映像は確認はしていないけれどこの半年ほどで2度も撮影の車に出会っている。それほど頻繁に最新の映像をアップしているのだろう。
そんなGoogleのストリートビューが、予想もしなかった感動をもたらしているそう。度々ネットで話題になっていたから、同じ経験をしている人は多いと思う。
最愛の人の「生前の姿」をGoogleストリートビューで発見した人たち…その感動と特別さ
これはよく見聞きすること。ストリートビューは当然ながら過去の写真がアップされているので、亡くなった人が写っていることがある。よくあるのが愛する家族が歩いている姿がネットに残されていたというもの。
リンク先の記事で紹介されている内容を読んで感動した。38歳のドハーティさんは、2010年と2013年に両親を亡くされている。ひとりっ子だったので辛かったとのこと。
ところが2014年にストリートビューで驚く写真を見つけた。亡くなった両親が仲良く手をつないで歩いている写真。母親に病気が発覚して、二人で歩けなくなる数ヶ月前の写真だったそう。だからとても貴重なショット。
ストリートビューは角度を変えられるので、両親の姿を目の前にいるのと同じ感覚で見ることができる。ドハーティさんはこの写真が撮影されていたことに、心から感謝していると述べておられた。
まれに遺体が写っていたという恐ろしいこともあるけれど、この記事のような感動的な出来事は世界各地で起きている。それこそ亡くなったペットの姿でさえ見かけたら感動するだろう。その想いにボクも共感できる。
だけどボクは絶対に無理。とてもじゃないけれど耐えられないと思う。もちろん時間が経てば悲しみも沈静化するだろう。だから愛する人が生きていたときの写真を見て感動できる可能性はある。
でもボクはきっとダメだろうな。何年経ってもその映像の時空に意識が飛んでしまう。そして喪失感に押しつぶされてしまうと思う。元気で一緒に過ごしているからこそ、ストリートビューに写っていても見ることができる。だけどいまこの世にいない人の姿を正視できない。
もしうっかりと見つけてしまったりしたら、メチャメチャ後悔するだろうと思う。ボクと同じような人は、あまりストリートビューを見ないほうがいいかもしれないね。
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