今日の言葉 7月28日
『苦しみの中心』
悲嘆に暮れている人に対して、私は言葉で色々説明します。悲しみとは避け難いものであり、物事が成就して満足しても、それは永遠に続かないので、そこからも悲しみは生じる、等々。しかしあなたに見つめることができるのは、あらゆる説明が完全に停止した時だけです。つまりその時、あなたは中心から物事を見ていない、ということなのです。
中心から物事を見つめると、あなたの観察能力は制限されます。地位に固執し、そこに留まりたいと願うと、そこにひずみが起こり、苦痛が起こります。中心から苦しみを覗き込めば、苦しみが起こります。苦痛が起こるのは、観察する能力がないからです。
「苦痛などあってはならない」、「なぜ自分が苦しむのか見出さねば」、「逃げなくては」などと言う時のように、中心から考えたり、機能したり、見たりしていると観察できません。中心が結論であろうと、観念であろうと、希望であろうと、絶望であろうとその他何であれ、その中心から観察すると、その観察は非常に制限されて、極めて狭く、矮小なものとなります。そしてこのような観察が悲しみを生むのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜