今日のウィルバーくん 3.1
前回はウィルバーの妻であるトレーヤが亡くなる直前、「私を見つけてくれる?」と言ったことを紹介しました。いろいろな意味に取れる、とても深い言葉です。それを聞いたウィルバーは、最初はその意味を取り違えていたようです。では、彼はその妻の言葉をどのように受け取ったのか。
私が解説するよりも、文章を読まれた皆さんがありのままを感じてください。息を引き取った妻の部屋で眠ってしまったウィルバーの体験です。
〜以下抜粋。
わたしはその晩、トレーヤの部屋にいた。最後に眠りに落ちると、夢を見た。しかしそれは、夢というよりはシンプルなイメージであった。水滴が大海に落ちる。そして、一つになる。最初、それはトレーヤが悟ったことを意味しているのだ、と思った。トレーヤは水滴で、そして悟りの大海に落ちたのだった。それは意味を成していた。
しかし、ぼくはそれよりももっと深い意味に気付いた。水滴は僕だったのだ。大海はトレーヤだった。彼女は解放されたのではない。彼女はもう解放されていたのだ。むしろ解放されたのは、僕だった。彼女に奉仕するというシンプルな美徳によって。
そう、まさにそうだった。だから彼女はあれほど、わたしを見つけて、と何度も言ったのだった。ぼくに見つけられる必要があるのは、彼女ではなかった。むしろその約束によって、彼女は何度もぼくを見つけるだろう。そしてわたしを助けてくれるだろう。
ぼくは、すべてを逆にとっていたのだった。ぼくは、そう約束することで、彼女を助けることになると思っていた。そうではなかった。実際は何度も何度も、彼女はぼくを助けるために手を差し延べるだろう、ということだったのだ。ぼくが悟るまで、ぼくがわかるまで、ぼくが、彼女があれほどはっきりと自分がそうであると告げた「スピリット」を認識するまで。
そしてそれは、ただぼくにとどまるものではなかった。トレーヤはすべての友人に、特に恐ろしい病気に打ちのめされている人のところへ、現れた。このすべてにおいて、彼女はいつも現前していた。
24時間後、ぼくは彼女の額にキスをした。皆、別れを告げた。トレーヤは、まだ微笑んでいた。そして火葬になった。しかし、「さようなら」は間違っている言葉だった。「また会う日まで」のほうがよかった。あるいは「さようなら・こんにちわ」という「アロハ」のほうが、適切だったろう。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『グレース&グリット』より。
一部を抜け出しただけですから、ウィルバーとトレーヤの真の姿は私のブログでは想像できるだけです。でも何かを感じさせる文章です。本当の二人の物語を知りたい方は、ぜひこの著作を読んでみてください。
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