今日のウィルバーくん 6.8
師匠は慎重に選ぶべきである。ウィルバーはそう言います。
精神的な教師を求める場合、私たちのほとんどは優しそうで、癒しを与えてくれそうな人物を選ぶと思います。その方が心地いいですし、心穏やかに悟りを求められるような気がします。
ところがウィルバーは、「荒くれ者」と呼ばれるような師を選ぶべきだ、と断言します。居心地が悪いどころではなく、魂が怯え、完全に馬鹿にされ、生まれてきたことを後悔させてくれる人物を選ぶほうがいい、と言います。なぜなら、そうなることで「本当の自分」を見ることができるからです。
「本当の自分」を見せてくれる師匠は誰か? ウィルバーの言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
それを見せるのは誰か? それは「いい人」、「やさしい女性」ではない。そういう人たちは、あなたの感情を傷つけることをきらう。うろたえさせることもきらう。そういう人たちは、耳に甘い、無意味な言葉をささやき、自己収縮から延ばした手をにぎって、慰めの商品を渡してくれる。ぼろぼろになったエゴに、傷薬を塗ってくれる。それは他者の世界との絶え間ない戦いに備えるためのテクニックである。ある意味では、「いい人」で、同時に「師」であることは簡単なのである。騒ぎも混乱も起きない。エゴの抵抗との戦いもない。疲れるような対決もない。エゴにやさしく、その背中をたたき、息を数え、マントラを唱えさえすれば良い。
「荒くれ者」は、もっと良いやり方を知っている。かれらは慰めるためではなく、打ち砕くため、破壊するために来たのである。かれらは容赦なく、仮借なく、残酷で、レーザーのように正確にあなたを切り裂く。かれらは、あなたが「本来の顔」を見出すまで、あなたに対面するだろう。引き下がらないだろう。あなたが、完全に疑いなく、すべてを手放すまで、かれらはあきらめない。かれらは慈悲を生きる。本当の慈悲であって、愚か者の慈悲ではない。本当の慈悲は、しばしば甘い言葉ではなく剣を使うのである。かられはエゴを怒らせる。そして、侮辱されたという気持ちが大きければ大きいほど、エゴもまた大きいのである。かれらは真実を生き、エゴと対面し、常に妥協することなく、前者を選ぶのである。
〜以上抜粋。アンドリュー・コーエン著『生きている悟り』に対する、ケン・ウィルバーの序文より。
私はこの文章を読んで、カルロス・カスタネダの著作を思い出しました。カルロスの師である、ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンが、まさしく「荒くれ者」の師なのです。エゴを粉々にすることで、カルロスに「本来の顔」を見出させることに成功しています。
もしあなたが誰かの師のもとについているのならば、「いい人」でしょうか? それとも「荒くれ者」でしょうか? 一度じっくりと考えてみてもいいかもしれませんね。
でも私たちはあえて「荒くれ者」の師を探す必要はないと思います。なぜなら最強で最良の「荒くれ者」の師が、すぐ近くにいるからです。
それは自分自身です。
私たちが人生で苦難に出会ったとき、その「荒くれ者」は私たちのエゴを粉砕しようとしているのかもしれません。自分の外に師を求める必要はないと思っています。人生で起きる出来事から逃げず、真正面から向き合っていけばいい。そう思っています。
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