想像力を高める方法
ようやく新しい1年が動き出した、という雰囲気が漂う神戸六甲の街です。まだ明日から営業というお店もありますが、かなりの店舗が普段どおりに営業を始めています。今日から仕事始めの方も多いことだと思います。
六甲は神戸大学の所在地ですので、学生の街でもあります。ですから年末年始は人口が減って、若い世代を見かけることが少なくなります。でも今日散歩をしていると、大きなカートを引きずったり、荷物を抱えた学生さんらしき人を大勢見ました。きっと帰省先から戻って来たのでしょう。
わたしはすっかり平日モードで、お正月気分は昨日で終了です。次にお酒を飲むのは、果たして何ヶ月先になるだろうか、という生活です(笑) アルコールが苦手でもなく、決して嫌いなわけでもありません。昨年に東京へ行った時、お世話になった方たちと一緒に飲んだお酒は最高に楽しい時間でした。
でも普段は別に飲みたいと思わないのです。何かイベントがあった時に、乾杯をするという程度です。あくまでもわたしの場合ですが、お酒を飲むと集中力が途切れるように感じます。ですから文章を書くのに苦労しますし、読書量がガタッと落ちてしまいます。
眠る前にガ〜〜と集中して読書をする習慣がつきましたので、どうもアルコールが邪魔になります。そうなってしまうと、とても貴重な時間を失ってしまったように感じてしまいます。人生で読める本の数は限られています。ですから1冊でも多く、心に残しておきたいと思っています。
読書というのは、想像力を高めるのに最適なものだと思います。文字を追いながら著者の心に踏む込むわけですから、受け身では楽しむことができません。読書というのは能動的に参加するものです。それを継続することで、さらに想像力が高まっていきます。
わたしは、人間にとって最も必要なのが想像力だと思っています。もう少し具体的に言えば、『他者に対する想像力』です。
先日『ワンネス意識を想像してみた』という記事にも書きましたが、この現実世界に存在している限り、本来はたった一つの存在である他人の心を知ることは不可能です。分離の世界に生きているわけですから、自分と同じ人間として知覚することはできません。
でも想像することは可能です。その想像が究極まで達すれば、キリスト教でいうところの『自分を愛するように他人を愛する』ことができるようになるはずです。
言い換えれば、『他者に対する想像力』の欠如が、諸悪の根源だと行っても過言ではありません。相手の痛みを想像できる人が、誰かを殴ることはできません。命の尊厳を想像できる人が、人を殺すことはないでしょう。泥棒された気持ちを被害者の立場で想像できるならば、泥棒をしようとは思わないはずです。
怒りや憎しみで感情的になっている時、わたしたちは自分のことしか考えていません。そこには『他者に対する想像力』が介入する余地が存在しません。だから他人に対して罵声を浴びせることができるし、ナイフで刺すことだってやってしまうのです。
それほど大切な想像力を育てるために、小説、映画、絵画、音楽等は大きく寄与すると思います。だけどもっとシンプルで、誰にでもできる方法があります。
それは『愛する』ことです。わたしはそう確信しています。
これは男女間のことだけではありません。家族や友人、ペット、仕事等も含めてのことです。
最もわかりやすいのは恋愛ですね。自分の好きな相手が喜ぶ顔を見たかったり、楽しそうにしてくれる姿を見るために、必死で想像力を働かせるはずです。どうすれば自分に振り向いてもらえるかと、相手の好みを想像して頭を働かせた経験は誰にもあると思います。
ペットの場合、さらにわかりやすいかもしれませんね。言葉が通じないだけに、想像力を働かせるしかありません。元気かどうか、お腹が空いていないか、喉がかわいていないか、暑くないか、寒くないか。一生懸命を様子を見ながら想像すると思います。
職場でも上司や部下に対して想像力を働かせることで、人間関係が円滑にいくはずです。あるいは顧客が何を望んでいるかを想像することで、商売を軌道に乗せていくことができます。
想像力を高めるには、その対象を『愛する』のが一番です。どうすればその愛を結実させられるかと悩むことで、想像力が自然と高まります。小説を書くにしても、読書するにしても、映画を観るにしても、そのことを『愛する』気持ちがなければ想像力が働きません。
人間がたった一つのものから分離して『自我』という意識を持つのは、『他者への想像力』を高めるためではないでしょうか? その想像力は愛を介在するものでもあります。だから多くの人が『他者への想像力』を高め、現実世界で臨界点に達した瞬間、すべては一つであったことが明らかになるのかもしれません。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。