いつかやる、は後悔の始まり
50代最後の一年を過ごしていて感じるのは、否が応でも人生の終盤を意識してしまうこと。生まれた瞬間から人間の命はカウントダウンされている。カウントダウンの終了が生まれて数週間後の人もいれば、100年先の人もいるだろう。だけど誕生と同時にカウントダウンが始まっているのは事実。
だからボクの年代になると、そのカウンドダウンが急にリアルなものとして突きつけられる。つまり時間がないということ。それゆえ何事に関しても『先延ばし』という発想ができない。
もっと早くから始めておけばよかった、と思うことは山ほどある。小説を書くことなど、日々その想いに取り憑かれそうになる。だけど最近はある意味吹っ切れている。だって後悔している時間さえもったいないと感じるからwww
だからこそ30代、40代の人に伝えたいことがある。『いつかやろう』は後悔の始まりでしかない、ということ。やりたいことがあるなら、いますぐ始めるべき。先延ばしにするメリットなんてほぼゼロ。
このリンク先の記事を読めば、その感覚が少しは理解できるかもしれない。
「定年後に本を読みまくりたい」そう思っている人が、絶対に知っておかないとマズいこと
読書ということに特化して書かれた記事。だけどあらゆる分野に当てはまることだと思う。いまや年功序列や終身雇用という概念が崩壊しつつある。それでもまだほとんどの企業では古い慣習に支配されている。それゆえ定年後の自由な時間を妄想している人は大勢いるだろう。
だけどそれは文字どおりの妄想。そのことが読書を通じて書かれている。
まずは読書から得られる情報が陳腐化すること。情報は生き物なので、定年後になったらそれが役に立つ可能性が低くなる。小説のような物語にしたって、40代のときに得られるものと、60代になって受け取るものはちがうはず。だから先延ばしにすることで、二度と手にできないものが生じてしまう。
さらに厄介なのが肉体の老化。40代の感覚で定年後をイメージしても、同じペースで読書はできない。視力も気力も落ちてくる。病気になることもあるだろう。だから忙しさを言い訳にしてやりたいことを先延ばしにしていると、実際にやろうと思ったときに手遅れだということがある。
この考え方は、10代にも当てはまると思う。昨日ある番組の録画を見ていた。まだ10代の少年というか青年が、会社を興して社長として業績を伸ばしていた。子供のころにドローンの楽しさを知り、勉強もしないでのめり込んだ。その結果ドローンレースで優勝するようになり、ドローンを使った会社を経営することになった。
もし子供のとき、その人の両親がドローンをやめさせていたら? いまは学校の勉強をやるときだから、大学に入ってからドローンレースを好きなだけやればいいと押し付けていたら? その男性はきっと大きな後悔をすることになったと思う。
林真理子さんがエッセイに書かれていた。やったことの後悔より、やらなかったことの後悔のほうがキツいという主旨。本当にそのとおりだと思う。
いまのボクは『いつかやる」という言葉を封印している。とにかく、今日できることは今日やる。明日に自分が生きている保証なんてないんだから。やらなかった後悔が消えることはないけれど、やれることは今やる、という想いを忘れないように日々を過ごしたい。
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする