日本人の奴隷化を食い止めた男
昨日ショッキングな記事を見た。カナダの闇歴史に関するもので、先住民族を集めた収容所で子供の遺骨が215人も発見されたというもの。でもそれはほんの一部であり、19世紀にアメリカ大陸に移住したヨーロッパの人たちは、キリスト教の布教という名目で多くの先住民族を抑圧した。
それでもアメリカや南米に比べると、現在のカナダ国家は過去の過ちについて真正面から向き合っている。だから調査が進められて、今回のような遺骨の発見につながっているらしい。
ヨーロッパ人たちが海を越えて植民地を求めたのはさらに昔。16世紀にはその魔の手がアジアにも伸ばされている。もちろん大義名分はキリスト教の布教。日本も例外ではなく、一歩間違えれば日本人も先住民族として抑圧されていたかもしれない。
そんな状況を食い止めたのが、著名な戦国武将だったとのこと。
タイトルにあるように、その武将とは豊臣秀吉。彼が強行した『伴天連追放令』によって日本人の奴隷化が食い止められたとのこと。
織田信長の後を引き継いだ秀吉は、その政策を引き継いでキリスト教の布教を認めていた。リンク先の記事によると、信長が本能寺の変で世を去った天正10年には、日本全国で15万人ものキリスト教信者がいたらしい。
ところが4年後の天正14年(1586年)に秀吉はその方針を180度転換させる。島津氏の反乱を抑えるため九州平定を成功させたとき、驚くべき事実を知ったからだろうと予測されている。それはヨーロッパ人における奴隷貿易だった。
当時のヨーロッパ人にとって、アジア人は奴隷売買の対象だった。だから貧しさゆえに子供を売りたいという親がいれば、まるで家畜を扱うかのように奴隷として海外へ売り飛ばした。なんと5万人もの日本人が、この時代に奴隷として海外へ売られていったらしい。
九州でそんな実態を知った秀吉は、ポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見すると、次のような四カ条からなる詰問を行った。
一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。
一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。
一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。
一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか。
この回答によって日本人の奴隷化を危惧した秀吉は、即座に『伴天連追放令』を打ち出した。質問に答えたコエリョでさえ日本から追放している。もし秀吉がここで英断を下していなければ、日本はヨーロッパ人たちによって植民地化されていた可能性がある。
この方針は徳川家康に引き継がれ、キリスト教の弾圧と日本の鎖国というものになっていく。これらの武将がこうして時間を稼いだことで、日本は植民地化されることなく明治維新を断行することができたのだろう。
晩年の政策では悪評の多い秀吉だけれど、この点に関しては素晴らしい決断だったように思う。歴史ファンにはとても興味深い記事だった。
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