今日の言葉 6月9日
『努力なき注意』
精神を夢中にさせるものを何も持たない注意はあるのでしょうか? 一つの対象に焦点を定めない注意はあるのでしょうか? いかなる類の動機も、感化も、強制も伴わない注意はあるのでしょうか? いかなる排斥感も持たずに、精神は細心の注意を払うことができるでしょうか? 間違いなく可能です。しかも注意を払っていると言ったら、その状態しかないのです。
他の状態は単なる耽溺、あるいは精神のごまかしにすぎません。何か特定のものに夢中にならず、また何の排斥感も持たずに、細心の注意を払うことができるなら、その時、あなたは瞑想の何たるかを見出すことでしょう。そのような注意には努力も分裂も、苦闘も結果の追求もないからです。ですから瞑想とは、精神を方式から自由にする過程であり、夢中になったり、集中するための努力を払ったりせずに、注意を払う過程であるのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜