今日のウィルバーくん 6.4
前回、瞑想について触れました。ウィルバーは様々な瞑想を経験していて、その内容を紹介しています。今日はヴィパッサナという瞑想に注目してみます。ヴィパッサナは自分の感覚を意識する瞑想法です。じっと座っているだけでなく、歩きながらでも体験できる瞑想法です。
散歩しているときなら、足が地面に触れる感覚や、ほおをなでる風をありのままに感じます。口と鼻を出入りする空気の動きを感じたり、自分が心に抱いた思考を見つめたりします。批判したり追いかけたりせず、ただありのままに感じる瞑想です。シンプルですが、とても強力なパワーを持っています。ウィルバーの言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
ヴィパッサナでは、できれば蓮華座、ないし半蓮華座で、できなければ、ただ足を組んでゆったりとすわり、外面と内面に起こってくることに「裸の注意」を向ける。起こってくる何事も批判せず、追いかけたり、逃げたり、望んだりしない。ただまったく平等に目撃するだけである。そして手放す。
この修行の目的は、他と切り離されたエゴがリアルなものでも実質的な実体でもない、ということを悟ることにある。それは一連の、たいして長続きしない、すぐに消えていくような感覚にすぎない。エゴがいかに「空」なるものであるかを悟った時、人はそれと自分を同一視して、防衛したり、心配したりするのをやめる。その代わり、もともとそこにないものを防衛することから起こる、慢性的な苦しみや不幸から解放される。ウェイ・ウ・ウェイがこう表現したように。
なぜあなたは不幸なのか?
なぜなら、あなたの考えることや
行うことの99.9パーセントが自分のためであり
その自分というものがないからである。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『グレース&グリット』より。
ヴィパッサナは『今』にいるための瞑想です。その瞬間に起きていることに、自分の全感覚を集中します。『今』にいることによって、過去や未来という『自我』の世界から離れるためです。そして本当の自分と自我を同一視することから抜け出すことが目的です。瞑想の方法は数え切れないほどありますが、その目的はすべて共通しています。自我が思い込みであることを「思い出す」ことですね。
この文章の最後の詩はとてもわかりやすい。私たちは存在しない『自我』をリアルな現実だと思い込み、その『自我』のために行動しています。ですから幸せを求めて追いかけても追いかけても、それは逃げていきます。手に入ったように思えても、実体のないものを満足させることはできません。このことに気づくまで、人生から苦悩が消えることはないのかもしれませんね。
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