プロ意識に必要なもの
昨日までは圧倒的に夏が優位だったけれど、今日はちょっぴり秋が自己主張をしているような気候。それでも夏が8割で秋が2割くらいかなw
夜中から明け方にかけて前線が通過したようで、強い雨と風のあと、どことなく乾燥した冷たい空気が入ってきたような気がする。こんな感じで、少しずつ秋になっていくんだろうね。
プラプラと散歩していると、町内会や老人ホーム等で行われる「夏祭り」の広告を見かけた。実際に公園で大がかりな準備をしているところもあった。子供にとって夏休み最後の土日だから、あちこちでイベントが企画されているのだろう。
来週の金曜日は、もう9月だものね。今年の8月の終わりは、パソコントラブルに遭遇して大騒ぎだった。すっかり外付けキーボードに慣れたけれど、今回の騒動を通じていろいろと感じたことがある。
「プロ意識」を持っている人が少ない、ということ。プロというのはお金を取っているわけだから、それなりのパフォーマンスを見せて欲しい。人間というのは感情で動く生き物なので、結果がどうであっても、プロ意識を見せつけられたらそれに関わる費用を惜しいとは思わない。
今回のパソコンの修理で二人の男性と話したけれど、どちらもプロ意識の欠如を感じてしまった。だから信頼できない。知識がないとか経験がないとか、という問題じゃない。心意気のことを言っている。
「わたしはプロですから、なんとかしましょう!」という意気込みがまったく見えなかった。のらりくらりと自分のリスクを排除することばかり考えていて、親身になってこちらの意向に沿おうという雰囲気を感じない。たとえハッタリでもいいから、自分は専門家だという圧倒する「何か」を見せて欲しかった。
先日行った洋食屋さんも同じ。美味しいとかまずいというのは、ある意味相対的なもの。どう考えてもまずいものはまずいだろうけれどねw
それでもあるレベルを維持しているから、商売として成り立つはず。そうなってくると、客に本当に美味しいと感じさせるのは、どれだけプロ意識を持って仕事をしているかだと思う。料理の味というのは、作る人の心がそのまま反映するはず。
時間どおりにきっちりとお店を開け、お客さんを案内する。そんなことからプロの仕事は始まっている。その店は、そんなことさえできない。メインの料理だけでなく、サラダや味噌汁という副菜にもプロ意識を投入すべきだろう。でないと客を適当にあしらった、上絵から目線の仕事でしかないと感じてしまう。
他人のことはわからないけれど、ボクはプロ意識を常に忘れないようにしている。そしてプロ意識にどうしても欠かせない、と考えているものがある。
それは『負けず嫌い』である、ということ!
どんな仕事であっても、上には上がいる。だけどその仕事に携わる限りは、そんな人たちに負けたくない。時間はかかっても、その領域に至るために必死になるべきだと思う。それは、ほんの些細なことから始まる。
ボクが税理士事務所に転職して最初に驚いたのは、先輩職員の電卓を打つ速さだった。ブラインドタッチで、目にも留まらぬ速さで電卓を打ち込んでいる。負けず嫌いのボクは、必死になって練習した。つまらない自負かもしれないけれど、事務所で誰よりも電卓が速く打てるようになった。
祇園の芸舞妓事務所に勤めたときにも、70歳になろうという先輩職員さんがすべての芸舞妓さん、お茶屋さんの女将さんの名前と顔を覚えているのに驚愕した。そりゃ50年近くも働いいる人だから当然といえば当然。
だけどボクは悔しかった。だから必死になって覚えた。ほぼ半年でその先輩と同じレベルまでになった。これは負けず嫌いに支えられたプロ意識のおかげ。印刷会社に転職したときだって、書店で印刷の専門書を買ってきて勉強した。わからないことは工場に行って訊きまくった。
今は必死になって、文章を書く技術を高めようとしている。それは負けず嫌いがそうさせている。プロであろうとすることは、そういうことだと思う。どんなことでもいい。一芸に秀でることができる人は、プロだと言っていい。
そしてそういうことを成し遂げた人は、おそらくほぼ100%の確率で負けず嫌いだと思う。そうでなければ、プロ意識が育たないはずだから。そんなことを感じた。今年の8月だった。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。