人は愛を『手』で伝えるんだろうね
去年の春に一度完成させた小説の、大幅な書き換えがようやく完了。あはは、まったく内容のちがう物語になってしまった。まぁでも、言いたいことは同じだからいいだろう。完成と言っても、これから推敲に入る。まだ最低でも2週間はかかりそう。
今日はちょっと根を詰めすぎたので、ブログは短いめ。細かいストーリーを思い出せなかったので、久しぶりにある映画を見直した。
『シザーハンズ』(原題: Edward Scissorhands)という1990年のアメリカ映画。説明する必要のない、有名なファンタジー映画。主演はこの映画でブレイクしたジョニー・デップ。だけどボクが選んだ写真は、ウィノナ・ライダーが演じている場面。
この映画でボクがもっとも好きなシーンだから。この映画はウィノナ・ライダーが演じるキムが、老人になって孫に自分の体験を話すシーンで始まる。なぜその話をしたかといえば、「なぜ雪が降るのか?」という孫の質問に答えるため。
この写真のシーンはジョニー・デップ演じるエドワードが、氷の彫刻を削って雪のように散らしている場面。その美しさに感動したキムが、その雪を身にまとって踊る。これこそファンタジーという名場面だと思う。そしてこれがこの街で雪がふる理由になっている。
久しぶりに観たけれど、やっぱりいい映画だよね。何度見ても切なくてウルウルする。ハッピーエンドじゃないだけに、余計に感動するのかもしれない。
この映画は、最初は主演にトム・クルーズが指名されたらしい。だけど彼はハッピーエンドを望んだので、監督のティム・バートンはジョニー・デップを起用したとのこと。この映画は、絶対に彼のほうが正解だよね。
人造人間のエドワード。完成途中で発明家の博士が急死したから、両手がハサミのままだった。この映画が素晴らしいのは、この部分だよね!
人間の交流は『手』を通じて始まる。初対面の人とは握手するし、恋人ができてもいきなりセックする人は少ないはず。まずは手を握り合うことから普通は始まる。
人間というのは、『手』を通じて愛を伝えるんだと思う。
だけどエドワードは手がハサミだから、他人に愛を伝えることができない。最初は珍しがられて、もてはやされる。だけどそのうち、心ない人たちから迫害されることになる。それはきっと、手を握り合うことができないからだろう。
それゆえ、キムとの恋愛に感動させられる。手が触れ合うことなしに、二人は心を通わせる。『手』を必要としない愛もあるということなのだろう。
そんな二人でさえ、世間というものには勝てなかった。エドワードが感じている孤独が、あの手のハサミに象徴されている。誰かと心を通わせようとするのに、相手を傷つけてしまう。そんな気持ちはまったくないのに、ハサミの刃が相手に痛みを与えてしまう。
なんて切なくて苦しい孤独なんだろう。理解し合おうとするのに、相手を傷つけてしまうなんて。こんなことなら、愛する人と離れても孤独に生きようと思うのも仕方ない。
ボクはこのエドワードの孤独に共感してしまう。10代のころのボクは、同じ想いを抱えていたから。だけどエドワードのようになるのを恐れて、傷ついていないふりをして生きてきた。普通の『手』があるように見せかけてきた。ハサミの『手』を持っていたのに……。
古い映画だけれど、ファンタジー映画史上に残る名作だと思う。短いブログのつもりだったけれど、映画の感動を思い出しているうちに、いつもと同じだけ書き込んでしまったわ〜w
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