運命に従うか、それとも抗うか
ボクが毎朝『SOLA TODAY』という記事を書いているのは、面白いと感じたことを紹介するのが目的。だけど本当に意図していることは、他人の記事をあえて文章に起こし、さらに自分の考えをつけ加えることで、知識の引き出しを増やそうとしているのが動機。
文章というのは、読んだだけだとさらっと流れて行く。とても大切なことだと感じたのに、そのままだと記憶から消えてしまう。もっとひどい場合は、その記事を鵜呑みにして、絶対的な事実だと勝手に認定してしまうときもある。
そうなるのは、自分の頭で考えないから。考えないと記憶にも残らないし、自分の意見も出てこないので、事実誤認を招いてしまう。だから大切だと思ったことは読むだけでなく、書くようにしている。
自分の意見を文章にしようと思えば、どうしても考えざるを得ない。あることを自分の意見として断定しようと思えば、それが誤解に基づくものではないかと検証することになる。それでも誤解やまちがいは避けられないけれど、少しでも自分なりの真実に近づくことができる。
昨日も、ちょっと面白い記事を読んだ。
『勇者は運命に従うか、抗うか』というもの。
映画やドラマを分析すると、主人公が自分の運命に従っている場合と、逆に抵抗する場合に分かれるらしい。ハリウッド映画の分析によると、それらは時代によって流行があり、定期的に交代するらしい。平均すると、どちらのパターンの主人公も同じ数ほどある。
運命に従うというキャラが勇者だというのは、ボクは好きかもしれない。避けられない運命に抵抗することなく、じっと耐えてその事実に向き合う。そして勇者として活躍する。
反対に運命に抵抗するというのも、物語としてはいいキャラだよね。過酷な運命に負けることなく、果敢に新しい道を切り開こうとする。そんな勇者にも、観客は勇気をもらえるはず。
本当に勇者と言えるのは、運命に従う人か、それとも抗う人か? このテーマについて、ボクなりに考えてみた。
そして出た結論は、『結局、どちらも運命のままだよね』というものw
運命に従った勇者は、受容することが『運命」だった。
運命に抗った勇者は、抵抗することが「運命」だった。
つまりどちらの勇者も、自分に定められた『運命』から逃げられなかったということ。受容であろうと抵抗であろうと、その勇者はそういう行動に出ることが『運命づけられていた』といいうことになる。
つまりどちらも勇者であり、自分の運命のままに生きたということ。どうしても『運命」から逃れることはできないんだよね。与えられた運命に抵抗したと本人が思っていても、それは思い込みにすぎない。そうすることが『運命』なら、得られた結果は見えていたはず。
とまぁ、いつもこんな風に他人の記事を読んで、あれこれ考えている。こうして文章にするだけで、自分が見えてくる。人生で経験できることは限られているから、他人のふんどしで相撲を取りつつ、自分の知識の引き出しを増やしたいと思っている。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。