労力の高低と呪いは比例する
ボクは本が大好き。特に好きなのが1冊に文字がぎっしり埋め込まれていて、かつページ数の多い本。お得感があるものね。
『本』という存在そのものを愛しているので、図書館で借りた本に怒りを覚えることがある。よくあるのがページを折るという行為。読んでいた箇所のチェックなんだろうけれど、しおりを使えよ! と言いたくなる。
メモをしているのもムカつく。自分で買った本なら好きにすればいいけれど、図書館の本にメモ書きする感覚が理解できない。その人の人間性を疑ってしまう。そしてコーヒーや紅茶をこぼした跡が残っている本もある。
本を愛するボクにすれば、こんなことをする連中を呪ってやりたくなる。ましてやボクが書いた本だとしたら、呪いの強さゆえ生き霊になってしまうかもwww
そんな気持ちを抱く人は、中世のヨーロッパにもいたらしい。
まだ印刷技術がない中世では、写本をしなければいけない。筆記者の多くは修道僧で、羊皮紙を用意して羽ペンを使い、カリグラフィー書体という独特の文字を書き記す。さらに豪華な挿絵も書かなくてはならず、寸分違わないように書き写すなければいけない。
その労力たるや、現代人には理解の及ぼないほどのストレスだと思う。だからこそ本を大切にしないやつは許せない。その気持ちはよくわかる。だから本を汚したり盗んだりしないよう、当時の本には『呪い』の言葉が書かれていたらしい。
ちょっと怖いけれど、本を愛する気持ちが伝わってきた。
『この本を持ち去る者に死をもたらしたまえ。大鍋でフライにされ、病にむしばまれ、熱に炙られ、車輪に砕かれ、そして吊るし首にされよ。アーメン』
アハハ、すごいよね。修道僧が書いているわけだから、かなりの説得力がある。さらにこんなことも書かれていた。
『本を盗んだ者、本を借りたのに返さない者は、その手の中でヘビになった本に引き裂かれよ。全身麻痺に襲われ、家族を全員破滅させよ。
激痛にボロボロになり、泣き叫んで慈悲を乞わせ、死ぬまでその断末魔の苦しみを味わわせよ。紙魚にこの当然の結末を食らわせ、地獄の業火でこやつを永遠に焼き尽くせ』
これはいまの図書館に書いておいてもいいよねwww
『ページを折ったりしたら、悪魔がおまえを真っ黒に焼き焦がすだろう
しみをつけたりしたら、悪魔がおまえをあぶり殺すだろう
本を盗んだりしたら、悪魔がおまえを料理してしまうだろう』
ここまで書くのは当然だよね。時間をかけて写本した本を粗末に扱われてると許せないだろう。文化継承という意味でも、本を大切にすることは国家を守ることでもある。
これだけ激しく呪いの言葉を書き残したのは、それまでの労力を無駄にしたくないから。労力の高低と呪いは比例するんだろうなぁ。
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