平安貴族の恋愛は複雑怪奇
今年の5月2日から、毎日少しずつ読み進めてきた物語がある。昨日になってようやく読了。とにかくその時代の慣習をインプットするのに苦労した。
2022年 読書#94
『源氏物語』紫式部 著 与謝野晶子 訳 という小説。
なんとなくは知っているけれど、全文を読んだことのなかった『源氏物語』。教養として知っておく必要があるかと思い、全56巻の物語を読むことにした。だけど原文で読むのは時間がかかって無理そう。それで現代語訳を探していたら、与謝野晶子さんが訳した電子書籍を発見。半年近くかかってようやく読み終えた。
率直な感想として、本当に素晴らしい物語だった。平安時代の貴族といえば、現代人からすれば重なる部分が少ないように思ってしまう。だけど誰かを恋焦がれたり、嫉妬したり、思い悩んだりするのは同じ。紫式部という作家が、現代人と同じように他人の心の機微をとらえていたことに感動した。人間という生き物は、時代がちがっていても本質は変わらないものなんだと思う、
ただ慣れるまではかなり戸惑った。怨霊や生き霊が跋扈するのはさほど気にならない。いまでもホラー作品があるんだから。でも平安貴族の自由な恋愛事情に慣れるのにかなり時間がかかった。わかっちゃいるんだけれど、おいおい、とツッコミたくなるシチュエーションばかり。この時代の恋愛に関する倫理観のちがいは、江戸時代の人が読んでも違和感があったのではと思う。マジで複雑怪奇だもんな。
さらに読みづらかったのは登場人物が多いこと。それも官職名での登場が多い。光源氏という固有名詞が使われているときはいい。だけど六条の君や大将や右大臣というように官職で登場すると、誰のことなのかわからなくなることがあった。
もし現代の作家が翻訳したものなら、もう少しわかりやすく書かれているのかもしれない。与謝野晶子さんは独特の文体で、これまた慣れるまでに時間がかかった。うっかり読み進めていると、気がついたらどんな状況になのかわからず、あわてて戻ることが何度もあった。
それでも思った。与謝野晶子さんの文章は、あえて原文のリズムを大切にされているのではないかということ。そう考えると、これはもう一度読むべきかもと考え直した。とにかく1回目はストーリーを追うことに必死だった。そのおかげでおおよその物語の舞台設定は理解できた。
それでも不十分に思うことがある。この物語にはミュージカル映画のように、いきなり登場人物たちが歌を交わす場面が多用されている。これらの和歌に関しても、じっくりと味わうことが欠けていたように思う。
ということで今朝から再読を始めた。つまり最初の『桐壺』から読み始めている。すると想像したとおり、与謝野晶子さんの文章がとてもスムーズに心に入ってくる。やはりこの物語の原文を大切にされているんだと感じた。
これはもう一度通読するしかない。また半年かかるかもしれないけれど、今度は与謝野晶子さんの文章の趣と、登場人物たちが詠む和歌の鑑賞をメインにして、じっくりとこの物語を味わってみようと思う。
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