初めて知った『相貌失認』
映画の基本目的は娯楽だけれど、知らないことを学ぶ機会を提供してくれることもある。ある映画を観て、『相貌失認』という病気を初めて知った。
相貌失認とは、顔のパーツは認識できるのに、顔全体として誰の顔なのか認識できない。失顔症とも呼ばれているそう。脳のデータベースがバグっているような状態で、記憶にある顔と見ている顔の突き合わせができないらしい、
さらに同じ人でも見る度に顔が変化して感じられる。だから家族であっても見分けることができないし、自分の顔を鏡で見ても他人に見えてしまうそう。そんな相貌失認を扱った映画を観た。
2022年 映画#161
『フェイシズ』(原題:Faces in the Crowd)2011年のアメリカ映画。写真のミラ・ジョヴォヴィッチが主演している。他人の顔の認識できない難しい役を演じていて、彼女の女優としての新しい一面を見せてもらえた良作だった。
小学校教師のアンナは、ブライスという恋人と同棲していて結婚間近という幸せな生活を送っていた。でも世間では「涙のジャック」という連続殺人鬼が若い女性たちと次々と殺している。
アンナは友人たちとの飲み会を楽しんだあと、帰宅しようとある橋の上を歩いていた。そのとき「涙のジャック」が女性の喉を切り裂いている現場を目撃してしまう。顔を見れらた犯人はアンナに襲い掛かった。
もみあった末に橋から川に落ちたアンナは頭を強打するが、ホームレスに助けられて一命を取り留める。ところが目が覚めると、恋人のブライスも友人たちの顔も他人にしか見えない。医師の診断は相貌失認だった。
だから刑事のケレストに事情聴取を受けても、犯人の顔を思い出せない。もし目の前にいたとしても、犯人かどうかわからない。当然ながら顔を見られている犯人はアンナに接触してくる。このあたりのシチュエーションはうまくできていて、顔の見えない恐怖はかなり真に迫っていた。
病気が治る見込みはない。アンナはある精神科医と知り合うことで対処法を学んだ。それでなんとかブライスとの関係を取り戻そうとする。だけど教師の仕事はクビになるし、治ったふりをしたことでブライスは彼女から離れていく。そんなアンナに、犯人の魔の手が迫ってきたという物語。
相貌失認という病気を使うことで、映画を観ている人も犯人像が見えてこない。常にアンナの視点で物語が進行するから。
ただ発想はよかったけれど、ちょっとそれに頼りすぎた気がする。勘のいい人なら、映画の半分くらいで真犯人がわかってしまうはず。ラスト近くで犯人が明確になったとき、やっぱりねという感想しかなかった。
そしてもうひとつ、気になることがある。
顔を認識できないのは仕方ない。そのためにアンナは人間の服装や動作の癖をつかむ。それで友人や恋人を認識するだけでなく、犯人の動作の癖も思い出していた。だから顔がわからなくても犯人がわかるというストーリー。
だけど肝心なことを忘れている。それはアンナの聴覚。
耳は普通に聞こえる訳だから、少なくとも相手の声を認識できるはず。複数の人がいても、恋人や友人の声を聞き分けることは可能だろう。ましてや犯人は何度もアンナに接触して声を聴かせている。その点に関して、この映画は完璧にスルーしていた。
一度そう思ってしまうと、不自然感が拭えないまま観ることになってしまう。なぜ声に注目しなかったのだろう? なかなか面白い作品だっただけに、その部分がとても残念だった。
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