コーヒーとジュークボックス
最近は外出する日でも朝にブログを書いているのですが、今日はちょっと寝坊しましたのでこの時間になっています。いつも通りに散歩を兼ねて買い物に行きましたが、蒸し暑さでぐったりしました。気温はそんなに高くないのですが、湿度が高いので空気がじっとり重く感じます。
雨を降らせる前線が上がったり下がったりしていますが、早く南に下がってくれて大陸の冷たい空気を運んでほしいなぁと願っています。そんな蒸し暑い散歩ですが、久しぶりにまどかちゃんと出会いました。
そしてモップくんも久しぶりですね!
今日のような蒸し暑い日には、アイスコーヒーが美味しいです。原稿を書いているときはカフェで過ごすことが多いですが、自宅では買ってきたコーヒー豆でアイスコーヒーを入れています。今日の3時のオヤツもアイスコーヒーです!
私はコーヒー大好き人間でして、必ずブラックで飲みます。それでも家にいるときは、朝食のときと3時に飲むくらいです。カフェで原稿を書いているときは、一日に4杯くらい飲んでしまいますけれどね〜
コーヒーを飲むときに、よく思い出すことがあります。私をこの世に生んでくれた母は、とてもコーヒーが好きでした。……と多分、私の記憶はそう教えてくれています。3歳くらいから小学校に入る半年前まで、京都の東山に住んでいました。有名な清水寺等も近い場所です。
六畳一間の借家で、父母と妹の4人で住んでいました。お風呂は銭湯ですし、トイレや台所も共用です。1階が寿司屋と喫茶店で、その寿司屋の真上が私たちの部屋でした。毎日寿司屋の裏口と同じ場所から出入りしますので、すし酢の匂いが鼻につきます。そのせいか私は大人になるまで寿司が苦手でした。
母はどうもコーヒーが好きだったようで、ほぼ毎日寿司屋の隣の喫茶店にいた記憶があります。すし酢と同じように私は毎日コーヒーの香りに包まれていましたが、どうやらコーヒーは嫌いにならなかったようですね。
その後、京都の山科という場所に引っ越しました。その家の近所にもレストランを兼ねた喫茶店がありました。今では懐かしいジュークボックスが置かれたお店でして、そこにも母は通っていた記憶があります。
かなりの常連さんだったらしく、古くなったジュークボックスのレコードをもらっていました。当時でしたらグループサウンズの曲や、歌謡曲のレコードが主流です。小さなレコードプレーヤーを持っていまして、それでもらったレコードを毎日私は聞いていました。音楽好きはその頃からだったようです。
引っ越して1年くらいで母は家出をしましたから、その喫茶店はわずかな期間だけの記憶です。でも私がコーヒー好きなのは、父の影響もありますが、母の影響が強いと思います。コーヒーの香りと母が結びついているのかもしれませんね。
でも今から思い返すと、小学校1年生でレコードプレーヤーは早過ぎるような気が……。その後やってきた継母もコーヒー好きでしたから、もしかしたら私の記憶は2人を混同しているかもしれません…… まぁ、どちらにしてもコーヒー好きの環境ではあったということですね。
私を生んだときには20歳だった母ですから、今でも元気なら72歳です。きっと相変わらずコーヒーが好きで飲んでいるかもしれませんね。今なら喫茶店ではなく、スタバ等のカフェに通っているかもね〜
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。