ガストンとの対話 Vol.78
ガストンさん、今回の中東での事件を考えていると、人間の性善説と性悪説について思いが及びます。人間の本性は善であるから、人質を無事に返してほしい。でも悲しい結果を目の当たりにすると、人間の本性は悪であるからやはり最初から疑ってかかるべきだったかと思ったりもします。
「お前さんは、人間をどちらだと思っておる?」
人間の純粋でピュアな部分は「愛」だと確信しています。だから人間の本質は善ではないかと。ただ過去の歴史を振り返ると、そうとも言い切れない自分がいます。先日の対話で話題になった人間の狂気について意識してしまいますね。
「これについての対話をする前に、大きな誤解を解かねばならんな」
誤解?
「そうだ。性善説と性悪説についての解釈を間違えている人間が多い。孟子たちはこの言葉を他人を信じるか否かという意味で言ってはいない。しかし現代のお前さんたちの考えは、人間を信じるべきかどうかという意味合いでこの言葉を使っている」
私はそうだと思っていました。違うのですか……。
「そうだ。人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶというのが性善説。孟子が主張したものだ。その主張に対して荀子が反論した。人は生まれつき悪だが、成長すると善行を学ぶというのが性悪説だ。つまりどちらの見解でも、結局人間は善行も悪行も行いうるということだ。人間の本性を決めつけて、信じるかどうかを説いた思想ではない」
なるほど、全く考え違いをしていました。私の誤解は一般的に常識のように使われていますね。
「そして最大なる誤解は、何を善で何を悪と判断するのかということだよ。わしがいつも言っていることだ。善悪の概念ほど曖昧なものはない。時代によって変化するし、個人によっても違ってくる。悪に見える善があれば、善に見える悪もある。悪意を持って誰かが行った行為が、その結果として善行になることもあるだろう。人の生命を奪うというような行為だけで善悪を判断できない。お前さんにとっての善が、他の誰かにとっては悪になっているかもしれない。それはその人間の解釈次第ではないか?」
確かにそうですね。今回の事件については言葉にできない悲劇です。でも、さらなる被害者を未然に防ぐという抑止効果の観点を持つこともできます。特定の観念で縛り付けたものの見方をすると、限られた答えしか手にすることができませんね。
「お前さんが最初に考えていた性善説や性悪説では、心の不安をもたらすだけだ。人間の本質を善だと信じたとしても、誰かに騙されるかもしれない。その時のショックは相当なものだろう。だが人間の本質を悪だと決めつけていると、誰かの思いやりを素直に受け取ることができない。どこか疑いをもってしまう。どちらにしても心が不安定になってしまうのではないか」
そう思います。私が思い込んでいた性善説や性悪説は、ありのままを見ていない状態ですね。過去の経験による不安が反映されていたり、根拠のない期待を言葉にしたものかもしれません。その都度、その都度、起きた出来事をありのまま見つめることが大切ですね。
「言葉というのは便利じゃが、人間の意識を縛りつけるものでもある。「今、ここ」で起きているものに対して、その都度真摯に向き合っていくべきだ。そして必要なものを受け入れ、そうでないものは手放せばいい。ただ最初にお前さんが言ったように、全ての存在物は愛だ。善悪の概念を超越している。それは忘れるべきではない」
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