今日の言葉 9月20日
『学んでいる精神』
学びとはどういう意味でしょうか? 単に知識を積み重ねたり、情報を集めたりしているだけの時、そこに学びはあるでしょうか? 工学生として、あなたは数学などを勉強します。あなたは学び、その科目に関する知識を持ちます。知識を実用的に用いるために、あなたは知識を蓄積していきます。ところで精神が単に積み込み、付け加え、獲得しているだけの時、それは学びでしょうか?
学んでいる精神は決して「私は知っている」とは言いません。なぜならば知識は常に不完全であるのに対して、学びはいつも完全であるからです。ある程度の知識からスタートして、それに知識をどんどん付け加えていくことが、学びの意味ではありません。これでは、学びもへったくれもありません。単なる機械的プロセスです。私にとって学びとは全く異なった何かであります。
私は自分について一瞬一瞬学んでいます。そしてその自分というのが、途方もなく生命力に溢れているのです。それは生命を持っていて、動いています。それには終わりもなければ始まりもありません。「私は自分を知っている」と言う時、学びは蓄積された知識に終わってしまいます。学びは決して累積しません。それは終わりもなければ始まりもない、「知」の動きなのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜