真実を伝えられないもどかしさ
ボクがよく見る夢のパターンに、電話やメールができないというものがある。大切なことを誰かに伝えなくてはいけないのに、何度トライしてもできない。
電話は思うように番号が入力できなかったり、アドレス帳から電話番号が見つけられない。メールはアプリが開かなかったり、アドレスが見つからなかったり、入力してもまったくトンチンカンな文字が出てきたりする。
とにかくめちゃ焦る。もどかしくてなんとも言えない気持ちになる。これはもしかすると、他人に何かを使える難しさを象徴しているのかもね。こうしてブログを書いたり、小説を書いていても、読み手に真意を伝えるのは難しい。そんなことを潜在意識で感じていて、こんな夢を見るのかもしれない。
真実を伝えられないもどかしは本当に辛い。身もだえしても、どうしようもないときがある。まさにそのもどかしさがメインになった映画を観た。
『めぐり逢い』(原題:An Affair to Remember)という1957年のアメリカ映画。トム・ハンクスとメグ・ライアンが主演した『めぐり逢えたら』という映画のモチーフにもなっている有名な映画。この作品の存在は知っていたけれど、今回が初見だった。
ニッキーという画家の男性とテリーという元歌手が、イギリスからニューヨークに向かう船上で出会う。それぞれに婚約者がいるけれど、二人はあっという間に恋に落ちてしまう。ニッキーの婚約者は超有名な富豪だし、テリーの婚約者も裕福な実業家。
だけど二人はニューヨークに到着すると再会を誓う。それぞれが婚約を解消して、ニッキーは画家に専念し、テリーは歌手に復帰する。そして半年後の7月1日にエンパイア・ステート・ビルディングの屋上で再会して、結婚することを約束した。
そしてその当日、ようやく画家として自立したニッキーはビルの屋上で深夜まで待っていた。だけどニッキーは来ない。実は到着してタクシーを降りた直後、彼女は交通事故にあって病院に搬送されていた。携帯電話もない時代だから、その事実を伝えることができない。
この時点で、強烈なもどかしさを感じる。なんとかしてあげたい、と画面を見ながら必死で思ってしまう。だけど二人の人生はすれちがってしまう。
最終的にはハッピーエンドになる物語なんだけれど、中盤からエンディングまでやきもきする。テリーは足を負傷して歩けなくなった。その足が治るまで、ニッキーに真実を伝えずに身を引いていた。
そんなん気にせんと、早く真実を伝えて〜〜、と言いたくなるけれど、ニッキーは頑固なんだよね。結局足は治らないし、体調まで崩してしまうので、なかばニッキーとの結婚をあきらめてしまう。マジで最後の最後までもどかしい作品だった。
この映画が素敵なのは、主演の二人の元恋人たち。未練はあるけれど、去って行った相手の恋を応援してくれる。これはメグ・ライアンの『めぐり逢えたら』にも継承されているパターンだよね。このあたりは、とても清々しい。ドロドロしないから、気持ちよくいられる。
ニッキーを演じたケーリー・グラントは、いつもながらのダンディな雰囲気だった。テリーを演じたデボラ・カーという女優さんは名前しか知らなかったけれど、とてもキュートな女性だったなぁ。なかなか素敵な映画だった。
だけどこの映画を思い出したら、また今夜も連絡できなくてもどかしくなる夢を見そうだよなw
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