始めるのに遅すぎることはない
ボクの初めての本が出版されたのは50歳になる年。それをきっかけにして無謀にも小説を書き出した。正式な原稿の書き方さえ知らないまま始めたので、四苦八苦の連続だった。そのうえこの世界の厳しさを思い知って、どうすれば次のステージへと到達できるか、いまでも暗中模索している。
それでも小説を完成させる楽しさと、そのことにある種のエクスタシーを覚え、創作の世界にどっぷりとハマってしまった。ただ、なぜもっと早く始めなかったのかと悔やんでいる。20年前に同じことをしていたら、もっとちがう世界が見えたかもしれない。
だけど時間は巻き戻せない。結果論になるけれど、いまのボクにとって最適なタイミングがその時期だったんだろう。だからスタートの遅さに悩みつつ、新しいことに挑戦している人に勇気をもらっている。
『何かを始めるのに遅すぎることはない』
よく目にする言葉だけれど、これは人生の本質を言い表していると思う。昨日ある記事を読んで、さらにその想いを強くした。
刑務所で数学を学び、論文発表までした囚人の話。何事も始めるのに遅すぎることはない!
今年の初め、数学の学術雑誌にある論文が発表された。連分数について考察されたもの。連分数という言葉さえ、ボクにはさっぱりわからんけれどwww
その論文を執筆したのは、ワシントンの刑務所で服役しているヘイブンズという受刑者。大学で数学を専攻していたわけじゃない。
ヘイブンズは高校中退で、麻薬のジャンキーとなり、ついに殺人まで犯してしまう。2011年に25年の刑が確定して、現在も服役中とのこと。そのヘイブンズがなぜ数学の論文を書くことになったのか? リンク先の記事を読んで驚いた。
刑務所で何かをしようと思い、数学を勉強することにしたらしい。それで数学雑誌を扱う出版社に彼の手紙が届き、どうすれば雑誌を購読できるかの問い合わせがあった。
その手紙を読んだ出版社の人が興味を持ち、数学者である父親を紹介したそう。それでヘイブンズの力量をたしかめるため、その父親は数学に関する難解な問題を送ったらしい。
するとその解答が戻ってきた。数式をつなげると120センチになるほどの分量で、父親がコンピュータで計算すると正解だったとのこと。それで二人の交流スタートして、本格的な数学の勉強が始まった。
ヘイブンズはこの9年間、紙とペンだけで1日10時間近くを数学の勉強に費やした。そしてその結果、ヘイブンズの研究が論文として発表されることになったそう。すごいよね。
現在では大学生が学ぶ高等数雨学を完全にマスターしていて、通信教育で数学の学士号取得を目指しているそう。そして刑期を終えて出所したら、数学を学びたい受刑者のための非営利組織を作ると述べている。
ただ彼に家族を殺された遺族にすれば複雑な気持ちだろう。人の命を奪ったという、彼の罪は重い。
だけどヘイブンズはその償いをするため、数学を学ぶことを決意したそう。彼にとって、こうすることが贖罪なんだと思う。
おそらく元から頭のいい人だったんだろうね。でも周囲の環境が彼の人生を狂わせてしまったんだろう。遠回りしたけれど、ようやくヘイブンズは自分の生きる目的を見出したんだと思う。
『何かを始めるのに遅すぎることはない」という言葉の真意が、ビンビンと伝わってくる記事だった。
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