自分の心の闇を見せられた
他人のことは見えるけれど、自分のことって意外にわからない。『人のふり見て我がふり直せ』という言葉は、そういうところから来ているんだろうな。
映画や小説の効用として、自分を写す鏡というものがある。登場人物に感情移入することで、普段は意識していない自分の信条に気づくことがある。
でもそれが素晴らしいものだったらいいけれど、心に潜んでいる闇だと気づいたら複雑な気分になる。
そんなボクの心の闇を表出させてくれた映画を観た。
『ヴェンジェンス』(原題: Vengeance: A Love Story)という2017年のアメリカ映画。ニコラス・ケイジが主演している。
映画の内容はかなりシンプル。それだけに見ている人の内面が反映されやすいのかも。ニコラス・ケイジが演じるのはジョンという刑事。犯罪の多い街で、映画の冒頭でもいきなりジョンの相棒が射殺される。
ジョンは兵役の経験もあり、表彰を受けているような優秀な人物。特に銃の腕前は一流で、狙いを外すことはない。これはラスト近くにおける伏線。
事件はシングルマザーに起きた。ティーナと娘のべシーがパーティ会場から自宅へ戻るとき、4人のチンピラに襲われる。べシーはどうにか隠れて難を逃れたが、母親のティーナはレイプされて瀕死の重傷を負った。
助けを求めてさまようビシーをパトロール中に見つけたジョンは、救急車を呼んでティーナを助ける。一時は命の危険もあったけれど、どうにか助かった。母親のティーナの記憶はショックのせいで曖昧だったけれど、娘のビシーは犯人の顔を記憶していた。それで4人は逮捕される。
ところが二人の息子を逮捕された両親が、家を売り払ってまで優秀な弁護士を雇う。そしてその弁護士が非道な嘘をつくことで、その4人は無罪となってしまいそうな気配になった。たまたま学校時代の知り合いだったことを使い、合意の上での性行為だと主張した。
それだけでなくシングルマザーであるティーナの誹謗中傷を街中に流すことで、陪審員の心象を悪くしようとする。保釈された4人はこれ以上裁判を起こさないように、ティーナ親子を脅して追い詰めてしまう。もうダメだと思ったティーナは自殺しようとするが、たまたまジョンに助けられた。
ただこのままでは無罪になってしまう。娘のべシーは自分たちを助けて欲しいと訴える。そしてついにジョンはある決断をする。
ここまで書けばわかるだろう。その4人はジョンによって殺される。最初の一人は偶然を装って、正当防衛ということで射殺した。兄弟の二人については、おびき出してナイアガラの滝に沈めた。カナダに逃げたように偽装して。
そして残る一人については、脅して遺書を書かせたうえで射殺した。もちろん自殺として処理されたので、ジョンは罪に問われていない。原告がいても被告がいないと裁判にならない。悪徳弁護士はジョンの仕業だと気づいていたけれど証拠がない。裁判は開かれず、ティーナ親子はジョンに礼を言って街を離れるというエンディング。
このラストを見て、ボクはスッキリしてしまった。だって犯人の4人と弁護士が超ムカつくから。法律で裁けないなら殺してしまえ、と思ってしまった。
ただこれは冷静に考えると、とてもやばい発想なのは事実。どんな場合でも殺人は正当化されない。倫理的にも人道的にも間違っていると分かっているのに、ボクはジョンの行動にスッキリとしたものを感じてしまった。
つまり同じ立場になったとき、こうした行動を取ってしまう可能性がゼロじゃないということ。自分の心にそんな闇があるのを見せつけられた作品だったなぁ。
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