感染しないより、させないが大切
ここのところ新型コロナウイルスの感染者が減少傾向にある。昨日の兵庫県は今年になってもっとも少ないとのこと。
ただ年配の人の感染者が多く、重症化して亡くなっている人が増えている。来週の後半にはワクチン接種が始まるので、医療関係者と高齢者へトラブルなくワクチンが提供されることを願っている。
感染者が減少しているとはいえ、リスクは常に伴っている。ボクのように1年以上も外食をせず、地元の街から出ていないような状況でも、常に細心の注意を払っている。ましてや通勤して職場に行かなければならない人は、どうしても感染リスクが高くなるだろう。
自分が感染しないように注意することは大切。だけどもっと意識するべきことがある。
それは他人に感染させないこと。
昨年の春から今年にかけて、新型コロナウイルスに感染した人へのバッシングが続いている。たしかに不用意な会食や深夜のはしご酒で感染した人もいるだろう。自業自得だと言われても仕方ない人がいるのは事実。
だからといってそういう人を責めていると、感染したことを公表しなくなる可能性が高くなる。日本じゃないけれど、感染を隠したことで悲劇が起きている。
とても恐ろしいタイトル。この悲劇が起きたのはベネズエラ。
36歳の女性がPCR検査で陽性となった。それゆえ自宅で隔離措置を取ったそう。ところが彼女は感染したことを家族に伝えなかった。夫と3人の子供がいるというのに。
これは日本では考えれらないこと。PCRで陽性となれば、家族は濃厚接触者としてチェックされる。このあたりの対応が、ベネズエラでは徹底していなかったのかもしれないね。
その結果はタイトルの通り。夫が親戚のパーティーに行くと言い出した段階で、ようやく妻は自分の感染を告白した。そしてその女性と夫だけでなく、3人の子供たちも命を失っている。最初の段階で感染を公表して、すぐに対応措置をとれば家族全員が死ぬことはなかっただろうに。
日本では起きそうにない事例だけれど、問題の根っこにあるのは感染した人を責めるという風潮のような気がする。この女性は感染したことが怖くて、公表できなかったと生前に述べていたそう。その『怖さ」が具体的にどういうものなのかまでは書かれていない。
感染しないように全力を尽くすのは大切。だけどそれ以上に、他人に感染させないことをもっと重視するべき。バッシングを恐れて感染の事実を隠すようなことが起きれば、日本でも同じような悲劇が発生するかもしれない。
都会では感染者が多いから、こうした問題は比較的発生しにくいかも。だけど地方になると、数が少ないだけに注目されてしまう。すぐにどこの誰なのかわかるケースも多いだろう。そうなることで村八分のような他人の視線が怖くなり、感染を隠そうとするようになるのはマズい。
感染の公表はその人を責めるためではなく、それ以上の感染を防ぐためだということを忘れないようにしないとね。まぁ、日本は大丈夫だろう。知らんけど。
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