ヒーリングについて思うこと
北海道は大雨の特別警報が出て大変なことになっていますね。大きな被害が出なければいいのですが。神戸も昨晩は雷が鳴り出して、伊丹では大雨が降っていたようです。昨日ちょうど雷のシーンを書いているときにゴロゴロ鳴り出したので、ちょっと驚きました
昨日の散歩で見つけた花です。街路樹の周囲でひっそりと咲いていたのですが、命のたくましさを感じました。
昨日は輪廻について思うことを書きましたが、今日も私の「思うこと」を書いてみます。今日はヒーリングについてです。
スピリチュアルな世界に関心がある方で、レイキやシーター等のヒーリングを実践したり教えたりされている方が多いですね。私はそうしたヒーリングに興味がないので、効果の有る無しに関わらずコメントすることは控えてきました。需要と供給が成立しているのであれば、それでいいと思います。
なぜ興味がないのか。それは「私を癒せるのは私だけであり、あなたを癒せるのはあなただけ」だと確信しているからです。なぜそのように確信しているかと言いますと、病気には目的があると思っています。それは個人的な目的であり、その目的を達成したときが癒されるときだと考えています。
病気の症状で辛い思いをされている方には失礼な意見だとわかっています。医療的な観点から言えば失礼極まりないですが、スピリチュアルな観点からあえて書かせていただいてます。私たちは健康であることが自然な状態です。その状態に病気を呼び寄せているのは、何らかの目的があるからです。
それは10人いれば、10の目的があると思います。そしておそらく、その本人の顕在意識では気づかない深い目的があると思うのです。
誰かの助けを受け入れることを学びたいのかもしれません。自分という存在に注目して欲しいのかもしれません。
人生における休息を求めているのかもしれません。先進医療の進化に貢献しようとしているのかもしれません。
自分が現実を創造していることを実感したいのかもしれません。奇跡が存在することを証明したいのかもしれません。
死が全ての終わりでないことを誰かに伝えたいのかもしれません。
それらの深い目的を達成するために、病気という現象に助けてもらっていると感じています。つまり私の病気を創り出したのは、私自身なのです。だから目的が達成されたのなら、その苦しみからは解放されるでしょう。奇跡的な癒しを体験するかもしれません。あるいは死という解放かもしれません。
例えばあるヒーリングの方法で奇跡的な癒しがもたらされたとします。しかしそれは、癒された人の目的がたまたまそれであっただけのことです。いくつかの事例をあげて、これこそが究極的なヒーリング方法だと思い込むのは危険なことです。私がスピリチュアル的なヒーリングに興味がないのはそういうことです。
私たちが誰かに対して間違いなくできるヒーリングは、相手を思いやる心です。それだけで十分です。その思いで語られた言葉や行動は、受けた相手を確実に癒してくれるはずです。その思いで創造された音楽や絵画、映画や物語は、それに触れる人を癒してくれます。
ヒーリングに特別な伝授も技術も必要ありません。必要なのは誰かを思いやる心だけです。たった一匹の小さな猫が、誰かの人生を救ってくれることがあります。そこにあるのは信頼と愛情だけです。
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