ガストンとの対話 Vol.3
今日もお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか、ガストン。
「前にも言ったが、わしは忙しい。ビアゴに頼んでおいたから、やつに相談してくれ」
えぇ〜!ビアゴさんですか。あの方ちょっと怖そうで話しにくいのですが……。
「配下に猛者を抱えておるからいつもしかめっ面をしておるが、根は優しくて頼りがいのある男だぞ。同じ大長老でも、レファロなら「自分で考えてみなさい」で終わりだ。ビアゴだったら心ゆくまでつきあってくれるがな」
まぁ、そうかもしれませんが……。
「わかった、わかった。今日のところはわしが聞いてやろう。なんだ?」
悲しみや怒りの感情は、逃げずに向き合うことで消えてしまうと聞きました。でも感情と同一化することは、自我に囚われることですね? 矛盾しているようで、よくわからないのですが。
「言葉や文字で考えようとするから矛盾するのじゃ。言葉は表現された段階で二元化している。そんな道具を使っている限り、永遠に答えなど見つからない。悲しいなら涙がかれるほど泣いて、辛いのならのたうち回って苦しめばいい。そこから新しい何かが見つかると思うがな」
でも、いつまでもネガティブな感情に振り回されていたくないです。向き合うことで消えてしまうという、その仕組みを知りたいのです。
「自分で考えるべきことだが、ヒントをやろう。悲しみや怒りの感情は、この現実世界で経験できるものだ。この現実世界を存在させているものは何だ?」
この世界を存在させているもの……。う〜〜ん。あっ、時間ですか? 先日みた『ルーシー』という映画で、時間がなければこの世界は存在しないと説明されていました。
「そうだ! では時間の正体とは? お前さんは同じタイトルのブログ書いたばかりだからわかるはずだ」
時間は空間でもあるのですね。それは距離であり、分離という意識です。つまり時間の正体は、分離しているという思考ですね!
「よし、いいぞ。もう答えは出たも同然だ。では悲しみや怒りの感情はどうすれば消える? それらが存在しない場所はどこにある?」
…………。あっ、そうか! 思考が存在しない場所には、時間が存在しない。つまり思考がないと振り回される感情が存在できないということですね?
「アハハ、当たらずとも遠からずだな。思考するということは、思考するものと、思考されるものが同時に出現することだ。そこには距離が生じ、時間が生まれる。時間とともに発生した分離は、「こうあるべき」と「こうあるべきでない」という矛盾と葛藤を生み出す。そこに悲しみや苦しみが存在するのだよ」
なるほど。思考が全ての始まりなのですね。
「時間は距離だ。悲しみや怒りの感情は、常に一定の距離を保って人間を苦しめる。逃げようとしても追いかけてくるし、つかまえようとしても手が届かない。そこには縮めることのできない距離があるからだ。だが思考が消えると、その距離も消える。ネガティブな感情に向き合うとはそういうことだ。感情とひとつになるとはそういうことだ。悲しむ者が悲しみそのものであるとき、怒る者が怒りそのものであるとき、それらの感情は瞬時に消滅する」
つまり意識の同一化というのは、思考が存在したままその感情を「自分」だと思い込むことですね。でも感情に向き合うということは、判断したり非難する思考を消滅させて、ありのままの姿を見つめるということですね。矛盾していないことがわかりました。でも、思考を消滅させるのは難しいですね……。
「そう、簡単ではない。人生をかけて取り組むものだな。だが言葉や理屈でそれらを理解しようとしないことだ。リンゴを一度も食べたことのない人間に、言葉や絵で伝えたとしても、それはリンゴではない。リンゴをその人間の口に放り込んでやることが一番だ。自分自身で経験するしか、その本当の答えをみつけることはできないものだよ」
深い言葉ですね。今日もありがとうございました。
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