今日の言葉 7月26日
『苦しみの動きをたどる』
自分とは別個のものであるかのように、苦しみを意識しているのではありません。苦しみを観察している観察者としてそれに気づいているのではないのです。苦しみは自分の一部であり、つまり、私という全存在が苦しんでいるのです。そうすると、その動きに付いていくことが可能となり、それがどこに行き着くかを見ることができます。そのようにすると、間違いなく苦しみが姿を現します。
そして次に自分が「自分」を重視してきたことが分かります。自分が愛している相手を重視していたのではなかったのです。相手は私の抱える惨めさから、孤独から、不幸から私をかばう役目をしていただけだったのです。自分が大した人間ではないので、私は相手がそうあることを期待する。そころがその相手がいなくなってしまった。独りになった私は途方に暮れ、淋しい、あの人がいなければ、私はクズ同然だ。だから私は泣く。でもそれは相手がいなくなってしまったからではなく、自分が独りになってしまったからなのです。
でももし私が苦しみとともに留まることができ、それを自分から遠ざけず、それを抑えようとしたり、否定しようとしたりしないならば、その時、何が起こるでしょうか? このように苦しみの動きに付いていっている時の精神状態とは、どのようなものなのでしょうか?
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜