今日の言葉 9月23日
『繋がれた精神』
私たちは機械のように、退屈な日々の決まりごとを行っています。精神がどれほど熱心に生活パターンを受けていれていることか! そしてどれほどネチネチとそれにしがみついていることか! まるで釘でも打ち込まれたかのように、精神は観念によってまとめられ、その観念の周辺に生息し、存在しています。
精神はいつも繋がれているので、ちっとも自由ではありませんし、しなやかでもありません。狭かろうが広かろうが、精神はその中心の半径内を動き回っているのです。敢えてその中心から逃れるようなことはしません。そんなことでもしたら、精神は恐怖にがんじがらめになってしまいます。
恐怖と言っても未知の恐怖ではありません。知っていることを失う恐怖です。恐怖は未知によっては起こりません。既知に対する依存によって起こるのです。
恐怖は常に願望、より多くを学んだり、少なきを望んだりする気持ちと共にあります。とめどなくパターンをつむぎ続ける精神は、時を生み出す張本人です。そして時間があると、恐怖や希望、そして死が起こります。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜