SOLA TODAY Vol.493
SNS等を利用することで、誰でも自分の想いを世間に向けて発信できるようになった。それゆえ人を傷つける言葉がネットを飛び交い、拡散されることで心理的ストレスを抱えている人が増えている。
そこで注目されているのが、コンプライアンスという言葉。禁止ワードや禁止行為を定めることで、不快に感じる人をなくしていこうというもの。でもそれによって表現の自由が奪われているのも事実。そのコンプライアンスについて、こんな記事が書かれていた。
メディアにおけるコンプライアンスについて、このままでいいのかという問題を提起した記事。俳優の中井貴一さんのインタビューが最初に引用されている。
〈テレビドラマにひとたびコンプライアンスがふりかざされると、警察の捜査をかわす逃走犯はシートベルトをきちんと締め、学校や教師にたてつく不良高校生たちはタバコも酒もやりません。そもそも私たちが創っているものは架空の世界、空想の産物です。ありもしない世界に現実のルールを持ち込んで、娯楽としての面白さがぼやけてしまう状況は、一役者として嘆かざるを得ません〉
この中井さんの意見にボクも同意する。どうも最近のドラマや映画を観ていると、窮屈な雰囲気がして息苦しい。古い時代劇や『男はつらいよ』などの映画を観ると、必ずと言っていいほど断り書きがしてある。<不適切な表現が含まれています>とね。
この記事のタイトルにあるけれど、大和田美帆さんが出演されていた舞台で、演者がタバコを吸うシーンがあったらしい。昭和初期の設定なので、時代感を出すための演出だった。だけどその場面で、喫煙に対して怒鳴って帰る客がいたとのこと。
そのせいでわざわざ、「舞台ではタバコを吸うシーンがあります」とロビーに断り書きが貼られることになった。客席まで煙が来るとも思えないし、単なる演出のはず。気に入らなければ黙って帰ればいいのに、わざわざ生の舞台で怒鳴る必要はないだろうにね。
ボクの子供時代はおおらかなものだった。テレビの生放送や映画やドラマでも、現代で言うところの禁止ワードが飛び交っていた。そしてボクたち子供が、そんな言葉を平気で使っていた。多少のイジメはあっただろうけれど、その言葉が理由で起きたものじゃない。
ネットが普及することによって、実際は少数なのに、この意見が民意なんだと叫び声をあげる人が増えた。10人のうち8人がなんとも思っていなくても、残りの2人が大声をあげることで、それが総意のように取られてしまう。
いわゆる『ノイジー・マイノリティ』というやつだよね。
こんなもの無視すればいいと思うけれど、メディアとしはそうもいかない。いまだにベッキーさんが干されているのは、そうしたノイジー・マイノリティの存在が大きいと思う。
もういいのではという声が圧倒的多数でも、スポンサーが首を縦に振らない限り、テレビ局はタレントさんを自由に使うことができない。スポンサーが気にしているのは、ノイジー・マイノリティの声によって商品のイメージが下がることだけ。
小説を書いていても、使う言葉に躊躇することがある。過去のある時代を表現する適切な言葉であっても、禁止ワードだったら使うことはできない。マジで窮屈に思う。
ボクの世代は禁止ワードにまみれて育ってきたのに、普通の大人になっているんだけれどね。問題なのは言葉じゃなく、それを使う人間の心だと思う。いまだにイジメやハラスメントがなくならないのは、使う言葉を制限しても意味がないということだと思うけれどね〜!
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