ガストンとの対話 Vol.41
ガストンさん、九死に一生を得たという話を見聞きすることがあります。同じシチュエーションなのに、助かる人と命を失う人がいる。やはり人それぞれに決められた寿命というものがあるのでしょうか?
「人間が「死」から学ぶことは計り知れない。それゆえ、生まれる前に最も慎重に計画するのが「死」のタイミングだよ。自分だけでなく、周囲の人間にも影響を及ぼすからな。そうした観点から言えば、寿命が存在すると言ってもいい。お前さんもな」
えぇ、私も一度自分の死ぬ日を明晰夢で見たことがあります。4月という記憶しか残っていませんが。
「4月は気持ちのいい季節だな。死ぬのにもってこいの日だ」
何だか私が死ぬのが楽しそうですね。まぁ、楽しみではありますが。寿命があるとしたら、逆に言えばそれまでは絶対死なないということでしょう。事実だけを見れば九死に一生を得たような出来事でも、そうあるべくしてそうなったということですね。
「だが問題は、いつが寿命なのかわからないということだ。大病を患っても命を失うことのなかった人間が、退院した途端に交通事故で死ぬ可能性もある。だから寿命などという概念を頭から取っ払ってしまうほうがいい。そもそも、寿命まで生きていると信じているほうが間違っておる」
えっ? 寿命を迎える前に死んでいるということですか。全く意味がわかりません。
「お前さんが子供の頃に、パラパラ漫画を見たことがあるだろう。重ねた紙に書かれた絵をパラパラとめくることで動画になるというものだ」
懐かしいですね。今でも鉄拳さんという方が描かれていますね。
「アニメは目の錯覚で動いているように見えるが、実態は一枚ずつの絵だ。それと同じように、人間の人生は生まれたら死ぬ日がくるまで「生」が連続していると思っている。それは人間の視覚能力ではそうとしか見えないだけだよ」
ますます意味がわかりません……。
「お前さんたちが強固な物体だと信じている肉体は、点滅しているのだよ。物質世界と非物質世界を、瞬時に行ったり来たりしている。その点滅が肉眼ではとらえることができないから、死を迎える日まで連続しているように見える」
ということは、人間は瞬時に死んで、瞬時に生まれているということですか?
「そういうことだ。見える者が見たら、現れたり消えたりしているのが物質だ。つまり「今日」という視点でとらえたなら、今日は死ぬ日であり、今日は生まれる日でもある。物質世界に重点を置いて過ごしている期間を、ただ「生」と呼んでいるだけだ。「死」とは物質世界との関わりを解消するだけのことに過ぎない」
私たちにとって「死」は寿命を迎えた日のことでなく、日常的に経験しているということですね。つまり、一瞬、一瞬、新しい「生」を生きているということなのか。時間は幻想であり「今、ここ」しか存在しないということが、違った視点から理解できたような気がします。
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