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高羽そらさんインタビュー

この修行は、ボクには無理

また雨だよ。昨日は半日だけ晴れたけれど、今日は朝から雨。予想どおり傘を持っての外出となった。もううんざりするなぁ。

 

それもかなり冷たい雨なので、神戸では11月中旬くらいの気温らしい。だけど東京はもっと寒くて、朝は10度を切っていた。昼間の最高気温も12月の真冬並みということ。まだ10月なのにね。

 

とにかく雲ばかり見ていると、モチベーションを高めるのに苦労する。ボクの場合、音楽がなかったら仕事にならないだろうと思う。イヤホンで音楽を聴きながら仕事をしたりブログを書いているので、気持ちを音楽が引っ張ってくれている。だからなんとかやる気をキープできている。

 

でも音楽を聴ける環境じゃなかったら、かなりしんどいだろうなぁ。ある程度の自由が許されているから、自分のモチベーションを調節できる。だけど自由を制限されていたら、日々の気持ちを作っていくのは大変だろう。

 

自由というものから完全に隔絶された環境のなかで、自らの心と格闘した人の体験記を読んだ。

 

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『食う寝る坐る 永平寺修行記』野々村馨 著という本。

 

自分の人生を見つめ直し、その結果として出家を思いついた著者の体験記。曹洞宗の総本山である永平寺に入山した、1年の修行の日々が綴られている。

 

ボクは観光客として、過去に二度ほど永平寺を訪れたことがある。だからなんとなく雰囲気はわかる。だけど内部に入らないと、その修行の壮絶さは理解できない。ドキュメントでも見たことがあるけれど、やはりテレビで実態が描かれることはない。あくまでも表面的なものだけだろう。

 

ここで詳しく語っているスペースはないので、興味のある方はぜひ読んでほしい。丁寧な美しい文章で書かれているので、入山から下山までの内部事情をかなり詳しく知ることができる。

 

少し古い本だけれど、連綿と続いてきた総本山の修行方法が、たかだか20年ほどで大きく変わるとは思えない。もし永平寺で出家を考えている人がいるなら、貴重なガイドブックになるだろうと思う。まぁ先にこれを読んでしまうと、出家を思いとどまるかもしれないけれどねw

 

この修行は、ボクには絶対無理。とにかく細かい。覚えることも山ほどある。食事の作法やトイレのやり方だけで、脳みその容量がパンクしそうになる。それなのに異常なほど厳しい。食事中に箸を落としただけで、恐ろしい懲罰が待っている世界。

 

例えにすると真剣に修行されている方に申しわけないけれど、ある意味刑務所とよく似ている。いや失敗しただけで殴り倒されたりしないだけ、もしかして刑務所のほうがマシかもしれない。

 

ボクは永平寺を訪問したときの印象として、言葉にできない違和感を覚えた。修行されている雲水たちの姿を見て、その全身から発せられているエネルギーに、かなりネガティブなものを感じたから。だから修行の場としては、すでにその機能を逸しているのでは、と思っていた。

 

でももしかしたら、ボクの考えちがいだったかもしれない。この本を読んで、少し考え方が変わってしまった。

 

たしかに現代社会においては、あまりに古すぎるやり方が継承されている。そして真剣に悟りを得ようとする人ばかりが入山するのではなく、寺の跡取り息子が僧侶になるため、一時的に立ち寄る場となっている事実もある。だから1年で下山する人が多い。

 

だけど永平寺で雲水たちが日々行なっている修行は、厳しいゆえに理にかなっていると感じた。

 

それは徹底的に『自己』を否定されるから。自分というものを有している限り、ここでは苦痛しか残らない。なぜならあの手この手で、自我を粉砕しようとする試練が用意されているから。やや暴力的なやり方だが、とにかく自分という存在を消すしかない。

 

それは解脱という最終目的へ至るための、避けられない入り口なのかもしれない。僧侶としての目的を少しでも早く遂げるため、このような激しいシステムが構築されたような気がする。この本を読んでそんなことを思った。

 

自分という存在を忘れるほど殺人的に忙しい業務を日々こなしながら、同時に自分について考えざるをえない長時間の座禅をする。

 

この相反する行為によって、自分という存在を見つめざるを得なくなる。もちろんその本質に気付くまでは、かなりの年数を要するだろう。

 

ただ現代において、永平寺のように社会から隔絶した場所で解脱を体験するという時代ではないような気がする。そしておそらくそれを心から望んでいる人は、雲水のなかでも限られた人だけじゃないだろうか? 宗教団体としての形が完成しているので、組織として抜けきれないものがあるような気がする。

 

でもいい勉強になった。この本を読まなければ、この世界を知ることはできなかっただろう。ボクには無理だとわかっただけでも、価値のある本だと思う。

 

decoration/dcr_emoji_238.gif『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。

コメント (3件)

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  1. そらさん、コメントに回答ありがとうございます。
    確かに永平寺にかぎらず、時代にあってないけど、伝統でやってることは多いですね
    自分で考えて必要な物を取り入れてくしかないですね

  2. 暁美ほむらさん、コメントありがとうございます♪

    まぁ結論からいえば、現状において仏教を名乗っているもののすべてが、本来の仏教からかけ離れていると思います。
    それは永平寺に限らないでしょう。
    ボクは過去にチベット仏教に首を突っ込みましたが、すでに現代社会に適合していないのは明白でした。

    永平寺のやり方は、道元が存命だった時代のものだと思います。時代が変わっているのに、同じことをやっていることに無理があります。
    それも本当に大切なことが、異常なまでに肥大化した儀式のなかに埋もれてしまっている。これはキリスト教でも同じでしょう
    宗教というものが、過去の権力者によって利用されてきた弊害でしょうね。

    ボクとしては今の現代社会に暮らすだけで、修行に値するほど十分に大変なことだと感じています。
    自分の置かれた環境で、精一杯人生に向き合うしかない。ボクはそう思っています。

  3. こんにちは、私もこの本よみましたけど、この本以前に原始仏教の本を
    読んでましたので、もの凄い違和感を感じました。なんで仏教を名乗ってるのかというのですね
    原始仏教を基準にすると永平寺でやってることは仏教とはかけ離れてるんですよね、
    仏教ではなく日本独自の禅ならありかもしれないですけど
    こういうやり方をする場合は指導する立場の人の人格ができてるのが前提ですけど
    それができてない古参雲水もかなり多いみたいですよね、本を読む限りでは、
    著書と同時入山した人で物覚えが悪く、どんくさい人が
    古参雲水らに目の敵みたいにされて頻繁に食事抜きと暴力で身体を壊して6ヶ月で入院して
    そのまま帰ってこなかったいうのを見る限り、かなり問題がありますよね、
    格闘技にしろボディービルにしろ、プロなんかは自分をギリギリまで追い込みますけど
    格闘技やボディービルの指導する人はそのギリギリを見極めて指導しないと
    格闘技なんか大事になるし、ボディービルや重量あげなんかは、バーベルを身体におとして骨折、下手すれば死亡
    ですしね、それと本の中ででてきた栄養不良による脚気とかの病気は
    戦国時代の足軽や幕末や明治初期の軍隊でも同じ症状が結構あって問題だたたんですよね
    いろいろと問題がありますよね、それ以前にあの修行法でどれだけの効果があるかは疑問ですね


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高羽そら|たかはそら(作家、小説家)プロフィール

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高羽そら(たかはそら)
今後の目標:毎年1つの物語を完成させたいと思います。
生年月日:昭和37年5月10日
血液型:A型
出身地:京都市

【経歴】
1962年京都市生まれ。数年前に生活の拠点を神戸に移してから、体外離脱を経験するようになる。『夢で会える 体外離脱入門』(ハート出版)を2012年1月に出版。『ゼロの物語Ⅰ〜出会い〜』、『ゼロの物語Ⅱ〜7本の剣の守り手〜』、『ゼロの物語Ⅲ〜次元上昇〜』の3部作を、2013年7月〜12月にかけて、オフィスニグンニイバよりAmazonのKindleにて出版。現在も新たな物語を執筆中。

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