今日の言葉 10月30日
『動機なき変容』
何の動機も持たずに見つめることが私にはできるでしょうか? 何の励みも、変わろうとか変わらないでいようとかいう動機も持たずに、自分の精神は存在できるのでしょうか? なぜならば、いかなる動機であれ、動機は特定の文化の反応の結果、生まれたものであり、特定の背景から生まれ出たものだからです。
これは実に極めて重要な問題です。それ自体が養われ育まれてきた文化から、精神が解放されていなければ、間違いなく個人は、決して安らかではあり得ませんし、自由を手にすることも決してできないからです。
このような個人の神や通念、シンボルや努力は、依然として条件づけられた精神の域内にあり、それが故に限られています。その域内で個人がいかなる努力を払おうが払うまいが、それは全くの徒労です。光が多くなったり、窓が多くなったり、食べ物がよくなったりして、牢獄内の装飾は良くなるかもしれません。しかし相も変わらず、そこはある特定の文化という牢獄であるのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜