今日のウィルバーくん 2.18
誰でも眠りますが、睡眠というのは不思議です。私は朝目覚めた瞬間、生まれ変わって新しい人生が始まったように感じます。眠るときに死んで、起きたら生まれる。そんな印象です。ですから毎日が、その日限りの人生だと思うようにしています。
ウィルバーも人間ですから、当然ながら眠ります。そして彼は私と同じように、明晰夢もよく見るようです。ただ私と違うところは、そんな睡眠中でも意識の探求を怠っていない、ということでしょう。彼の眠りについての文章を見てみましょう。
〜以下抜粋。
覚醒している時、夢を見ている時、深く眠っていて、夢のない時、このすべての状態を通じて現れる一定の意識は、通常、長い年月の瞑想体験のあとに起きる。わたしの場合、25年かかった。この意識の兆候は、非常にシンプルである。
まず覚醒してる時、常に自分に気が付いている。つぎに眠っている時に、眠っているということに気が付いている。明晰夢と似ているが、やや異なるのは、明晰夢の場合、夢を操作しようとし始める。乱行パーティとか非常に豪華な食事であるとか、山を飛び越えるとか何でもいいが、そうした夢を見ようとする。しかし常に一定する目撃者の意識では、何が起こっていることを変えようという望みはない。ただシンプルに、無邪気に見つめるのである。それは無選択的な意識、鏡のような意識であって、すべてを平等に、差別なく、映し出すのである。
したがって、夢の時も、ただ、それに気が付いているだけで、夢を操作しようという望みはない。やがて夢のない、深い眠りに入るが、この時も意識が残る。しかしそこには広大な空があるだけで、内容は何もない。しかし、「意識は残る」というのも正しい言い方ではない。というのもそこに意識しているものとされているものの二元性がないからである。そこはむしろ、純粋無垢な意識それ自体であり、内容も主体も客体もなく、「無」ですらない広大な空性であって、ただいかなる属性ももたないだけである。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『ワン・テイスト』より。
覚醒している時、夢を見ている時、夢のない眠りの時。この3つに状態で、常に目撃者を意識することを述べている文章です。日常的に明晰夢を見る私にとって、とてもわかりやすい文章です。
明晰夢と似ているが、やや異なる状態はとてもよくわかります。夢だと気づいているけれども、夢を操作しようとせず客観的に夢を観察しています。私の場合、通常の夢でもこういう状態が常に続いています。夢の当事者が自分であるのは間違いないのですが、その自分と距離を置いたもう一人の自分をはっきりと自覚しています。ですから最初の2つについては理解できます。
難しいのは、3つ目の夢のない眠りです。この時に目撃者を意識するという感覚は、ウィルバーも書いていますが二元性のない状態です。先ほどのように見られている自分と見ている自分、という二者が存在しません。この感覚をどのように感じるか、そして感じたとしても、それを文章で表現することは不可能です。
わかるような気がする。そう答えるのが、今の私の精一杯の答えかもしれません。
明日は、ウィルバーがその「睡眠」自体をどのようにとらえているかを見ていきます。
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