生物は死なないのが基本
この世にすべてには、始まりと終わりがある。ボクはずっとそう思っていた。それを究極的に表現したのが、生と死だろう。
ところが終わりのないものが存在するらしい。それは鉱物等の無機物ではなく生物。つまり死なない生物がいるということ。
タイトルが気になってつい読んでしまった記事。短くまとめられているのに、深い思考を触発する内容だった。
地球の歴史という観点から見れば、生物の多くは死なないらしい。生まれたら必ず死ぬという生物は、生命の歴史の後半になって登場した新参者だということ。人間はその新参者の代表のような存在。
では死なない生物とは? それは細菌。現在生きている細菌は、生命の誕生以来40億年も生き続けた結果として存在している。もちろん環境が悪化すれば細菌も死んでしまう。だけど生きていく条件さえ整っていれば、分裂を繰り返して個体としてな死なずに生き続ける。『指輪物語』に登場する不死のエルフは、もしかしたら細菌かもねwww
そのあたりの説明がシンプルでわかりやすかった。コップに入った水は変化がないように見える。ところが空気中に水の分子が放出され、空気からは水の分子が取り込まれている。本来は変化しているのに、そう見えないのを平衡状態というそう。
ところが生物は非平衡というのが基本。食物を取り込み排泄する。動物は老化する。動きとして見えるのは、生物が非平衡状態だから。だったら死なない生物はどうなっているのか?
それは散逸構造と呼ばれている状態らしい。リンク先の記事で説明されているのはガスコンロの火。ガスの火は一定の状態で燃え続けている。空気の流れのないところなら静止しているように見える。ガスが供給され続けている限りその状態を保つ。本当は複雑な化学現象が起きて燃えているのに、見た目は平衡状態のように感じられる。
細菌はこの散逸構造によって死なないそう。ガスが供給され続けているのと同じように、条件さえ整っていれば生き続けていける。生物の多くがこの散逸構造によって成り立っていることで、生物は死なないのが基本だということ。
だとすると新参者の生物は、なぜ『死』というものを選択したのだろう?
これについて記事の著者は別の機会に述べると記している。たしかに気になるところ。科学的な考察はできるだろう。でも哲学的な観点から見ると、かなり深い『何か』がそこにあるような気がしてならない。
生物の本質として『終わり』はない。それなのに新参者の生物は『死』を創設した。あえて『終わり』を設けることで、細菌が決して得ることのできない貴重な『何か』を手にしようとしている気がする。
その『何か』について考えることが哲学であり、宗教なのかもしれないね。不死という基本形を崩してまで生物は『何か』を求めようとしている。このことを突き詰めていくだけで、新しい小説が書けそうな気がするなぁ。
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