怖いけど、横道にそれた恐怖
最恐の物語がある。著者自身も出版を見合わせようとかと思った作品。ボクはその小説を読んで、その著者の葛藤が理解できた。恐ろしいを超越して、おぞましい、あるいは忌まわしい、という表現のほうが適切だと感じたほどだったから。
それはスティーブン・キングが書いた『ペット・セメタリー』という作品。この小説が1989年に映画化されているのは知っている。だけどあまりに恐ろしくて、観る気がしなかった。
そうこうしているうちに、この作品の映画がリメイクされた。こうなると気になってくる。最新の技術を使えばどんな映像になるのだろう? そう思うと我慢できなくなって、どうせ怖いなら新しい作品にしようと思って挑戦した。
2021年 映画#165
『ペット・セメタリー』(原題:Pet Sematary)という2019年のアメリカ映画。この作品の何が怖いかといえば、死者を復活させるということ。もちろんそうした映画は多い。たとえばゾンビ映画がその代表。
だけどこの作品は少しちがう。医師の家族がボストンからある田舎へ引っ越してきた。父親のルイスがER勤めが続いて疲れていたから。妻のレイチェルと間もなく9歳になる長女のエリー、幼児のゲージという長男の4人家族。そして愛猫のチャーチも一緒だった。
彼らが購入した家には、広大な森も敷地に含まれている。その森にペットの墓があった。そしてその奥に、木材で仕切られた境界線のようなものがある。その奥はかつて先住民族が暮らしていた地で、ある種の呪術が行われていた。それは死者を蘇らせるというもの。
その秘儀が存在する過程は、原作でかなり詳しく書かれている。この映画でも過去の出来事についてうまく映像化されていた。そして最初の事件が起きる。この家の前の道路ではトラック猛スピードで駆け抜けることが多い。猫のチャーチがそのトラックにはねられて死んでしまった。
長女のエリーはチャーチを可愛がっていた。その事実をどうして知らせよう。父のルイスが悩んでいるとき、隣人のジャドという男性がその秘儀を教えてしまった。その結果、チャーチは生き返る。ところが戻ってきたチャーチは、以前のチャーチではなかった。まるで悪魔のよう。
ここまでくると想像できると思う。この次は子供がそうなると。原作でトラックにはねられるのは、長男のゲージだった。ところがこの映画はそこを変更した。なんと死んだのは長女のエリーだった。この変更に関して、ボクはとても素晴らしい演出だと思う。
まだろくに言葉を話せないゲージよりも、9歳になったばかりのエリーのほうが観客の共感と恐怖感をあおることになるだろう。ここまではうまいなぁ、と怖がりつつも思っていた。生き返って悪魔化したエリーが先ほどの写真。
確かに怖い。だけどこのあとエンディングまでがちょっと残念。この作品に流れている本来の恐怖が、横道にそれていくという感が拭えなかった。原作は愛する息子を取り戻したい。バラバラになった家族を取り戻したい。
そう懇願する父親のルイスの執念が恐怖の根源だった。そのためにはタブーを犯すことを恐れない。死者の復活よりも、父親の狂気のほうが恐ろしかった。だけどこの映画はエリーの死を皮切りにして、いわゆるゾンビ映画のようになってしまった。
ネタバレ承知で書くけれど、家族全員が死者の復活へとつき進んでしまう。そこには葛藤も罪悪感も入る余地がない。ゾンビに噛まれてしまったのと同じ。怖かったけれど、ちょっと残念なエンディングだった。
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