ガストンとの対話 Vol.31
ガストンさん、超能力って存在するのですか? いわゆる念力や透視能力のことですが。
「現実世界の物質を究極的に分割していくと、原子、分子、そして最終的には素粒子というエレメントに還元される。それは個体として存在しながら、同時に波のような性質を持っている。その姿はまさしく宇宙と同じであり、エネルギーに満ち溢れた世界だ。そこではどんなことでも可能だよ。ただし、本当にそう確信している場合だが」
金属を本当に曲げられると確信していれば、物理法則に反することが可能なのですね。
「物理法則など表出した世界の一部分を理論づけているだけのものだ。その法則が絶対的だと信じていることのほうが問題だよ。それにしても、そもそもスプーンを曲げることができて何の役に立つ?」
アハハ、私と全く同じ感想です!鍛冶屋でもするなら別ですけれどね。私は超能力というものを身につけたいと思ったことはありません。テレポーテーションができるとしても、全く興味がありません。自分で車を運転して、その道程を楽しみたいです。この世界だけの特別な体験ですからね。超能力は体外離脱や明晰夢の世界で十分楽しんでいますから。
「それでもあえてここで話題にしたということは、わしに何かを語らせたいからだな」
えぇ、そうです。超能力に憧れている人は多いですね。私も10代の頃はそう思ったことがあります。でもその発想は強い毒を持っているように感じています。
「超能力は普通の人間にできないことだという観念がある。だから自分がその能力を持ちたいという心理の奥には、他人より抜きん出たいという心がある。人にできないことをできる自分の価値を高めたいのだ。自我を肥大化させるという毒を持っておる」
そう思います。そしてそのような人物を、凄い人物だと評して他人に伝えることも同じ毒をバラまいているのでしょう。できる人とできない人を分離しているだけです。人間の能力の可能性を拡大させることに関しては意義があるかもしれません。でもスプーンを曲げることが、人間の悩みを解決できるとは思えません。
「超能力を超能力だと思って使っているうちは、お前さんの言う通りの結果を招くであろう。人間の能力は自分を、そして他人を幸せにするために使うべきものだ。誰かを元気づけるためにな。おのれの自尊心を満足させるためのものではない。無私の心で超能力使をうものとって、それは特別な能力ではなく普通のことだ」
誰もが他人に役立てるような能力を持っているということですね。能力を超能力かそうでないかを区別するのではなく、誰かを勇気づけるために使えるかどうかが大切なのですね。
「その答えを、お前さんは『ゼロの物語』で語っておるではないか。ホワイトの野望を最終的に阻止したのは、同じ超能力を持ったティーグレだったか?」
いえ、違います。ホワイトの姉のキアラでした。
「そう、超能力者でないキアラが見せた能力。それは人類の全てが本来持っていて、最も求められる能力だ。作者のお前さんならわかるであろう?」
はい、それは無条件の愛ですね。
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