今日の言葉 10月13日
『ペチャクチャおしゃべりする精神』
一輪の花を実際わざわざ見つめたことがあなたにあるのかどうか、私には分かりません。ではあなたが一輪の花を見つめると、何が起こるでしょうか? 即座にあなたはその花に名前を付けたり、その花が何科に属するのかが気になったり、「なんてきれいな色だろう! 家の庭で育てたい」、「妻にあげたい」。「ボタンの穴に挿したい」などと言ったりします。
言い換えると、一輪の花を見つめた途端、あなたの精神はその花について、ペチャクチャしゃべり始める、ということです。ですから、あなたは決して花を知覚していないのです。精神が静まっている時、いかなる類のおしゃべりも存在しない時にのみ、あなたは何かを知覚します。
精神を微動だにさせずに、海の上に懸かる宵の明星を見つめることができるのであれば、その時、あなたはその途方もない美しさを実際、知覚しているのです。そして美を知覚している時、あなたは愛の状態を体験してもいるのではありませんか? 美と愛とが同じであることは、紛れもないことです。愛なくして美は存在せず、美なくしては愛は存在しません。
精神が何ら動揺することなく、知覚するのであれば、その時、精神はそれ自体の深み全体を探査することができます。そしてこのような知覚は、実際、時間を超えているのです。それをもたらすために何かをする必要などありません。知覚できるようになるための鍛錬や練習、方法など、何もありはしないのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜